即ち神事とはそういうもの

ascension

2023年09月26日 11:14






     



 
当ブログで定義する神事とは







高貴なるライトワーカー、光の戦士がた、いかがお過ごしでしょうか。



前回、ユグドアのチップ支援サービスが9月24日で終了する旨のお知らせをしましたが、応えてチップ応援してくださった方、ありがとうございます。この場を借りて再度お礼申し上げます。

メッセ欄はまだ当分はそのまま継続されるそうですので、書き込んでいただいてかまいません。ただ、前回も申しましたように、一定期間を過ぎたものは私の方で気づかない場合がありますが、その点はご容赦ください。


目下、別の支援方法を検討中と申しました。できればメッセのやり取りもできるものがあればいいのですが・・・。ともあれ、決まったらお知らせします。





さて、今回はまず、お詫びしなければならないようです。

前回の最後の項で、「祈りの会」における「動画による祈りの会」をご紹介しました。その際、地球のプレートの変動を鎮める祈りを行なっていると申し上げたのですが・・・、

9月23日の会では、その祈りはありませんでした。

すでに視聴された方はお分りと思いますが、今回のメニューは、「世界平和の祈り」「地球世界感謝行」「七つの言霊の宣言」「神聖復活の印を七回組む」といったもので、プレートに対する祈りはありませんでした。


私が視聴してきた範囲では、いつもほぼ同じ内容で行われていたので、てっきり毎回同じとばかり思っていたのですが、必ずしも決まってはいないようです。ご覧になった方は戸惑われたと思います。大変失礼いたしました。





あらためて整理しますと、「動画による祈りの会」は、毎月第2、第4土曜日、もしくは第4土曜日のみ、いずれも午前11時開催予定です。開催日当日から9日間、視聴可能です。



会の方に問い合わせたところ、その日のメニューは、当日の朝に決まるのだそうです。もし事前に内容を知りたい場合は、午前10時30分頃に電話で問い合わせしていただくと、口頭もしくはFAXでお答えいただけるとのこと。メールでの問い合わせには対応していないそうです。

私は地球のプレートに光を送るなどと申しておりますが、会誌を見ると、「日本全国と世界の各大陸に向けて祈り、神聖復活の印を組む」と呼ぶようです。本日の内容の中にそれがあるかどうか尋ねれば、教えてくれると思います。







プレートへの祈り以外のメニューについて






ところで、上記の23日の内容のうち、「世界平和の祈り」と「神聖復活の印」はご存知と思いますが、「地球世界感謝行」と「七つの言霊」については、会員さん以外はピンと来ないと思います。


「地球世界感謝行」は、当ブログでいう「感謝の祈り」に当たります。「七つの言霊」は、「祈りの会」による指導上のもので、いわば「心のメソッド」を言葉にして宣言するものです。当ブログではいずれもご紹介していないですし、今後もするつもりはありません。この点、少しご説明しておきます。



「地球世界感謝行」は、当ブログの「感謝の祈り」と、対象は多少違いますが、ほぼ内容がかぶる、同じ主旨の祈りです。

違いとして、「地球世界感謝行」は、行なう際に印を組みます。組み方はごく簡単な動作ですが、サイトにある図解だけだと分かりにくいかもしれません。

当ブログの「感謝の祈り」は、印ではなく、祈りの文言(マントラ)により、神々に感謝の想念を発信します。つまりマントラが印に匹敵するものです。地球世界感謝行も、丁寧なバージョンですと各々に文言がありますが、私の印象では、マントラというより印を組むにあたっての宣言文のような感じです。(どこが違うのかと言われると説明が難しいのですが、マントラとは、それ自体で波動の深度を深めるツールであり、当方もそのつもりで編み出しています)

どちらが効果的かは、人それぞれ相性もあるので一概に言えませんが、目するところは同じですので、特に両方やる必要はないと思います。



「七つの言霊」については、これまでの会の指導において発信されてきたものですので、何も知らない人がいきなり見ても、背景が分からないと思います。維持会員向けと言っていいでしょう。





いつも申しておりますように、当ブログには当ブログなりに発信しているレクチャーやメソッドがあり、このブログにて霊性開発の指導を提供しております。これを読んだあと、他の何かを受けないと霊性開発ができません、などということはないし、別のワークショップや指導に誘導するつもりもありません。という点、これまでと変わりません。



もちろん、「動画による祈りの会」を通して入会したくなった、というなら、それもご自由です。私が安心してご紹介できる唯一のスピリチュアル団体です。でも今回、それを目してこの行事をご紹介したわけではありません。




一度ご覧になれば分かりますが、私がお勧めしたのは、世界の大陸やプレートを意識しつつ、日本の各都道府県と世界の国を順々に祈っていくもので、ある程度時間はかかりますが、手順としてはごくシンプルです。会員でなければ分からないような手順でないのも、ご紹介しようと思った理由です。前回も書きましたように、印の箇所は、「世界平和の祈り」や「地球マカバ瞑想」に置き換えても大丈夫です。


今回の件で、毎回メニューに入るわけではないと分かりましたが、上述のように直前でしたら内容の問合せができますし、あとから録画で確認して参加することもできますので、よければなさってみてくださいね。







当ブログが神事と呼ぶものとは







ところで、「動画による祈りの会」(長いので以下「動画・・」と略します)をご紹介したことで、もう一つ波紋(?)を呼んでしまったのですが・・・。


今回、当方の同時瞑想と、「動画・・」が、日がかぶるという点について、ユグドアの方にコメントをいただきました。


私は常から、当ブログの同時瞑想と他の同時瞑想とを、かけもちで参加するのはやめていただきたい、と発信しているわけですが、これは日がかぶってもいいのか、かけもちして大丈夫かという、ご心配の声をいただいたのです。



実はそういうお声をいただくまで、そんなご懸念が生じるとは考えておりませんでした。その方にはご回答させていただいたのですが、考えたら、他にも同じ疑問を持った方もおられるかもしれません。ということで、この点についても一応ご説明させていただきます。



まず前提として、あらためて書きますと、同時瞑想のかけもちをやめていただきたい理由は、参加者の方が、他の同時瞑想で生じた抵抗波動を受けてしまい、それをこちらに寄越されることへの懸念からです。物凄くぶっちゃけて言いますと、とばっちりを受けるのが迷惑だからです。参加者をサポートする私も迷惑だし、サポートされる参加者の方にとっても迷惑です。



私は、スピリチュアルな行事で、それが波動を揺さぶり上昇させる、実効性のある行事を「神事」と呼んでいます。辞書にはないですが、私なりの「神事」の定義です。当ブログの同時瞑想は神事なのです。



それが神事であるとき、そこには必ず抵抗波動が生じます。本来、抵抗波動が生じない神事など、ありません。なぜなら、現状の地球世界には、極めて低い波動と、そのレベルに落ちた魂たちが渦巻いているからです。それだけではありません。神事の実施者自身の中にも、いまだ残るネガティブ想念が、心の中に潜んでいます。

こうした闇波動と魑魅魍魎どもが、光の想念やマントラに揺さぶられて現れてくるのです。同時に実施者の心の闇も現れてきて、実施者をネガティブに引き降ろそうとします。


とはいえソフトな段階では、神事も、対象に光を送るのみです。ですが、ある程度の段階に入ってきますと、抵抗波動が露わになってきます。こうして表れてきたもの達を、ときに自らから突き放し、時に光に変換して浄化する行為だと考えております。当ブログで神事という言葉を使うときは、そういう意味だということです。



私が、今回は実施します、今回は中止です、今回はうまく行きました、などと、神経質なくらいに波動の様子を見ながらやっているのはそのためです。自分のキャパを超えて無理をすると大変なことになりますので・・。幸い、闇波動に引き込まれるようなことまでは起きていませんが、それでも、「波動的被災」と呼ぶような事態は何度か経験してきて、そういう危険性は常に意識している必要はあります。







かけもちはやめてほしい行事とは






ところで、同時瞑想を主催する人の中には、こうしたことを考えずに、ただ「ご一緒に祈りましょう」的に、人々を招集して実施している人がいるようです。

それ自体は純粋な動機によるものだと思いますし、悪気があってやっているわけではないと思います。



最初のうちはいいのです。光の言葉や瞑想は、相応の波動を呼び覚ます効果があります。そこにとどめておければいいのですが・・。

ただ、繰り返し実施しておりますと、徐々に、スピリチュアルな集まり程度のものが、本格的な神事の色合いを帯びてきます。そのつもりがなくても、自然にそうなってきます。
むしろ、そうならないというなら、そもそも、光の効果がそれほどない、形式的な行事でしかないわけですからね。
そうしますと、上述のような抵抗波動が湧き上がってきます。繰り返すうちに、光が強まっていき、それにつれて、闇波動を湧き上がらせるわけですね。


これをどう受けて、どう処理するか。主催者としてはそこまで考えないといけないわけです。でないと、出てきた闇波動どもが、どこに行くかって話になりますからね。




仮に、そうした、処理も何も考えていない同時瞑想(に限らず、スピリチュアル行事全般)に、当方の同時瞑想の参加者が参加したとしましょう。つまり、当方のレクチャーについて来て、実践をしている人ですね。長いので「ウチの人」と呼びましょうか。そうしますと、恐らく、その同時瞑想の主催者も含め、参加者の中でも、最も波動が高かったりするんじゃないかと考えられます。

で、以前から書いていますように、波動というのは、低きから高きに流れます。つまり、そこで生じた闇波動を、ウチの人が受けてしまう可能性が高いわけです。あとは書かなくてもお分りと思いますが、それを(その方ご自身が、その場で浄化してしまわない限り)こちらに持ってこられてしまうことになるわけです。

当方では、当方の同時瞑想で生じた抵抗波動を処理して、参加者のフェーズ上げのサポートをしているわけで、そこに照準しているのに、よその、初心者的な、つまり物質波動レベルに近い人達のネガティブ想念を持ってこられると、同時瞑想の波動が濁ります。ただ迷惑くらいならいいですが、同時瞑想の効果が半減したり、本来ならフェーズ上げできそうな人が、うまく行かないということにもなりかねません。




つまり、「かけもちはおやめください」という注意事項には、このような背景があるわけです。



こう考えてまいりますと、「かけもちをやめてほしい同時瞑想」というのは、かけもちだろうが、そうでなかろうが、そもそも、参加しない方がいい同時瞑想なんじゃないだろうか・・ということに思い至ります。


少なくとも、「ウチの人」が無闇に参加するのは、やめておいた方がいいんじゃないかとは思いますね。沸き上がったものを、一番受けてしまいやすい立場でしょうからね。







「祈りの会」の行事






さて、そんな風に注意している私ですが、「動画・・」に関しては、そうした危惧を覚えなかったですね。指摘されるまで意識もしていなかったくらいでしたが、あらためて考えてみました。


まあ、「祈りの会」の会員さんも、色々な人がいます。初心者的な人も結構いるし、波動レベルも様々です。私自身、他の会員さんからカルマ寄越しをされたことは一再ではなく、その話も何度かしてまいりましたね。




でも、振り返ってみると、この会が主催する行事の最中に、主催側から寄越しをされたことはなかったと思います。


つまり、前項でご説明したようなことを、ちゃんと想定して、波動的ケアをしてくれているということだと思います。





富士聖地での、千人から数千人規模の、色々なレベルの参加者がいる中でなら、来るものはありましたけど、まあ、こっちはワンダラーなので、どこにいてもある程度は仕方ないのです。それに富士聖地自体が波動が高いので、来ると言っても和らいでしまいますし。


思えば、富士聖地の波動がそこまで高まってきたのも、それに至る経緯があるのです。







富士聖地での思い出






もう随分前の話ですが、まだ地球世界全体の波動が今よりも壮絶に低かった頃、地球の浄化をする行事が行われていました。私が入会するずっと前から、そうした行事を繰り返し行なっていたんですね。


私は五井先生にお会いしたことはないのですが、ご存命の頃は彼が主催していたわけです。当日になる前から、憑依霊がわらわらと取りついてきて、手を動かすのも困難だったという話を読みました。凄まじい抵抗波動だったのですね。恐らく彼でなかったら死んでしまっていたでしょう。


その後、現会長が引き継いだわけですが、彼女も物凄いものが湧き上がるのを見ています。震え上がった、と語ったのが、今でも印象に残っています。行事の最中も、失神することが何度かあったのです。


行事にも色々な種類があって、ある行事では、行なう前に、会の幹部やスタッフの人が、自らの覚悟を宣言するのです。正確な文言は忘れましたけど、闇波動からの憑依や攻撃を想定して、自分の身を挺して臨むことを誓っていたのが思い出されます。
当時は本当に闇波動がすさまじくて、私も何度となく恐怖を覚えていた頃でしたので、その位の覚悟が要ったんですね。
何より、行事を行なうことによって何が起きるのか、分かっている。主催しているのが高度な霊能者であればこそでしょう。



自分が参加した中で、一番すごかった行事が忘れられないのですが、当時は「神聖復活の印」はなくて別の印でしたが、皆で輪になってそれを繰り返し行うのです。最も長かった回では、朝から始まって夜中までかかった時がありました。会場が野外なのですが、やっているうちに、ボトボトと、大粒の雨が降ってくるのです。それが闇波動のせいだというんですね。つまり「現れ」です。雨はどんどんひどくなって、豪雨の様相を呈してきました。


主催側で、「帰れなくなりそうな人は今のうちに帰ってください。無理をせず、自分の身の安全を考えて」などと呼びかけるんですが、私が知る限り、帰った人は殆どいなかったようです。


それで、どのくらいだったか、ようやく終わった頃は、雨は相変わらず降りやまないし、あたりもすっかり暗くなっていました。もちろん参加者全員ずぶぬれです。それでも、皆、手を取り合って、やり遂げた悦びに浸っていました。
私自身は、そんな人々の様子を、ただ黙って見守っていただけでしたが、心の中ではほっとしていました。
車で来ていたのですが、帰りは雨と霧で前が見えないくらいで、家に帰りついたのは真夜中過ぎでしたね。あれが一番壮絶だったように思います。今でも時々、同志との間で語り草になっている思い出です。



つまり、神事というものはどういうものかということですね。それは浄化したい対象に光を送るものである。ですが、本格的になると、闇を呼び覚まし、闇を消すものだということです。



私自身、同時瞑想をやるようになって、規模こそ違うでしょうが、そうした様相を目の当たりにするようになりました。言葉では言い表しがたい、真っ黒でドロドロの魑魅魍魎どもが、塊になって湧き上がってくるのを見てきています。震え上がるというか、ぎょっとしましたね。そいつらが巨大な塊になって空中にいるんですからね。神事というからには、それらのモノたちを霧散させる必要があるわけです。




そうしたことを、長年にわたり経験してきているのが「祈りの会」なわけですね。ですので、会の方で、非会員さんでも参加していいといえば、私の方もご紹介していいだろうと思うわけです。なので、日がかぶる件は正直あまり気にしませんでした。

前述のように、実施した際に起きそうな可能性がある事態のことも、対処法も何も考えていない、そもそも参加しない方がいいような同時瞑想なら、日がかぶろうがかぶるまいが気にしますけど。



でも、もしも今後、日が重なるようなことがあって、あなたが、両方やりたいけど同じ日だと波動の照準がしづらいというのでしたら、同時瞑想は日時限定ですので、「動画・・」の方を任意の日時にずらしていただければいいと思います。







プレートを鎮める祈りをお勧めした理由






さて今回は、「動画による祈りの会」のご紹介をしたのがきっかけで、あらためて色々なことが思い起こされ、後半は思い出語りになってしまいましたが・・・、


それは本当に何年も前の話で、今では、地球世界の波動は随分と上昇し、「祈りの会」の行事も、そこまで壮絶なものはなくなりました。


中でも「動画・・」は、月に一、二回のペースで行われる定例会のようなもの、わけても私がお勧めしているのは、闇波動を揺り動かすというより、地球のプレートに光を送るという行事です。録画でも参加可能というのは、必ずしも会員が一同に会して行わなくても、視聴可能期間なら各々のタイミングで光を送ることができる行事ということだと思いますし、維持会員限定ではないのもそれゆえでしょう。



私はこの行事をするたび、プレートに光が送られるのを実感していて、そのうえ、当ブログでは行っていないタイプの行事ですので、光の皆様にお勧めしたいと思ったわけなのです。「地球マカバ瞑想」ともしっくりくるんですよね。

仮に他のところで同様の行事をしたとしても、ここまでスムーズに光が流れるかは疑問です。長きにわたり、地球そして自然現象を司る神々に祈りつづけ、前項で述べたような過酷なフェーズを経てきた会ならではの、波動的実績が背後にあるからだろうと思っています。

そんな行事ですが、当ブログのフォロワーである、光の人であれば、参加していただけるだけの素養があると思っております。次回の実施、気が向いたらちょっと見てみてくださいね。




とはいえ、このように、やわらかく、抵抗波動もあまり観ぜず、すっと光が送れるのは、それだけ世界の波動が上がってきたからでもあるでしょう。が、それと同時に、もしかしたら、今のうちだからかもしれません。今、等比級数的に波動が上昇しているんですが、数年内に大規模なシフトが起きる可能性があるからです。コップの水が溢れ出すときということですね。
それはまだ「イベント」ではありませんが、うまく行けば非常に大きなマイルストーンとなる可能性があるでしょう。


それ自体は喜ばしいのですが、今の波動状態と、その先の波動状態のギャップが大きいほど、衝撃となります。今のうちに可能な限り和らげておきたいところなわけですね。




さて次回は、今回、急遽内容を変更したため書けなかった、P氏やその周辺の動向について書くつもりです。状況によってはまた予定が変わるかもしれませんが。




なお、最後になりましたが、秋分の同時瞑想は、かなり満足の行くものだったと思います。とはいえ今まだ後処理中ですが、直後はしばし達成感に浸っておりました。
参加者の方々が徐々に成熟の度を増してきていて、自分のサポートがなにがしか寄与していることへの充足感があります。このところ、実施するかどうかにはナーバスですが、ひとたび実施するとなると、手応えが増しているように思います。これだから同時瞑想はやめられないですね。