線形から非線形へ ─波動の臨界点を超える─
線形から非線形への大転換のために。まずは個人レベルで目指すことが望ましい
光の皆様、いかがお過ごしですか?
今回はまず、ユグドアの方に応援及びコメント寄せて下さった方、ありがとうございます。
本来なら同じユグドアのコメント欄にて返信するんですが、事情がありすぐにできないでいます。なのですごく時間が経ってから書き込むかもですが・・、とりあえずこちらでお礼申し上げます。
さて、前回は、地球人、中でも生え抜きの地球人の魂の来歴についてのお話でした。全員ではないけど、かなりの部分がルシファー星人ということでしたね。
彼らは、少なくともこの惑星に転生してきた時点では線形波動だったわけですね。それ以外のルシファー人の方々は、地球には来なかったようですから、非線形波動に昇華したのでしょう。ちょうど私たち地球人の未来が分かれていくようなものだったのかもしれません。
ところでこの線形・非線形という呼び方ですが、大分以前にどこかのチャネラーのサイトで見かけて以来、なるほど言い得て妙と、当ブログでも使うようになりました。
私の印象では、線形と非線形では、何と申しますか、単純に周波数の高い低いだけでなく、波動の状態が違うのです。方向性が違うと申しますか・・。
私はよく波動を色で言うことがありますが、同じ色でも波動状態はそれぞれだとも言ってきました。例えば同じ赤だとしても、人によってその状態が違う印象を持ちます。それが、波動の個性というばかりでなく、波動の段階としても観ずることがあります。
一周回ったという言い方がありますが、そんな感じで、周波数が低い人が、必ずしも周波数が高い人より遅れてるとか初歩的だとか思えない事があるのです。
つまり、波動の新たな昇格のサイクルに入ったために、一旦低い波動に落ち込んでいるような印象を持つ人がいるということです。必ずしもスピリチュアリストとも限らず、ただ本質的にはスピリチュアルなのだろうと思われます。
かと思えば、高い波動を有しているのに線形としか思えない人もいます。旧ブログの方で、ある人物の憑依とカルマ寄越しにさんざん悩まされている話をしてまいりましたが、私が知る中では、その人が典型でしょう。(この方のことは、もうあまり書きたくもないのですが、私自身の学習の軌跡でもあり、多くの示唆を含んでいるので、取り上げないわけにもまいりません。)
私を悩ませてきたのは、霊的レベル、つまりその人のハイアーセルフからして、私に害を及ぼしているとは思っていないらしいことです。
アメコミのヒーローによくあるキャラで、主人公にただひたすら尽くす忠僕がいます。本人も高い能力を有しているのですが、影の存在に徹してヒーローを支える役どころです。この関係は良好な関係で、互いに不満はないという設定です。
どうも件の方は、ご自分と私とを、そうした関係として認識しているようなのです。アメコミヒーローのごとく、自分は崇高な仕事をしているのだから、それに無償で奉仕するのは良い事で、つまり私とも「良い関係」だと思っているのかもしれません(というか、彼の霊的レベルの行動パターンからは、そうとしか思えません)。この「悪意がない」ことが私を苦しめてきたのです。
つまりそれが、線形波動思考の人の典型パターンだと思われます。
この人もそのうちには線形波動を卒業するでしょうが、私自身、この経験を通して、線形波動がどれだけうんざりさせられるものであるかを学習してきました。もう十分わかったので、そろそろ脱却したいところです。
「悩まない」という危機
そもそも線形波動は、この物質世界では、非線形よりも荘厳で輝いて見えたりします。それは線形波動の世界では線形波動が共振するからです。ですからこの世界では非線形よりも魅力的に見えることも、よくあるのです。
私自身もそうでした。上記の憑依霊氏にさんざん苦悩してきましたが、それは彼の波動の幻惑から覚めたあとの話です。それ以前には、波動がたいそう高く、すばらしい人に思えておりました。
こんなことにならなかったら、それだけで済んだかもしれません。お互いに、この惑星の、この物質次元でしか出会わない、行きずりの人で済んでいたのだろうと思います。
私が過大評価しすぎたお陰でこうなったのかもですが、その過大評価は、彼の幻惑の想念に基づいていますので、それを後悔したところで仕方がありません。(というか、事態の深刻さから、もう過去を書き換えるしかないと思っています。)
言えるのは、幻惑されている間は、この人から放射されている波動が心地よかったということです。
最近はコロナで、肉体レベルで会うことはありませんが、以前は、会うたびにこの「心地よさ」加減で、どれくらい幻惑が解かれたかを、見定めているようなところがありました。
この人から来る波動を心地よく感じるとしたら、まだ幻惑が残っているということで、その方が脅威なのです。すでに理性では「カルマ寄越し」をされていると分かっているので、不快を覚えるのが正常なのです。
苦悩とは、ある意味、能力であり、それ自体も悟りの一つと言えます。
私自身のハイアーセルフが、一度だけ私の前に姿を現した話を以前しましたが、かつて私がどれほど切迫した状況に陥っても、何一つ応えるでもなかったものが、あとにも先にも一度だけ姿を見せたのが、私が件の人物の波動に幻惑させられていた頃です。この時が私にとって本当の危機だったからだと思われます。
寄越しをされる間、それによって苦悩するとは限りません。幻惑の想念の場合、むしろ心地よさを感じたりするのです。そしてそれは、苦悩するよりも、遥かに危機的な状態なのです。
私の例を書きましたが、こういう幻惑は、別にスターシード限定でされるものではありません。生え抜きの地球人同士でもしばしば起きています。
マインドコントロールは、している本人自身も気づかない、言わば二重のマインドコントロールの方が脅威
そういう幻惑の波動をカリスマ的に放射する人達が、目下この惑星で、指導的な立場に立っている人達に多く存在します。あるいは大人気のスターにもいます。
ところで、カリスマ、カリスマと書いておりますが、あくまで線形波動世界ならではのカリスマのことです。
よく私は、スターや政治家のことを「カリスマがある」と書きますね。ですが私自身が、彼らのカリスマ性に惹きつけられているわけでも、支持しているわけでもありません。客観的に見て、この世界で彼らはカリスマを発揮している、と言っているだけです。
そうしたカリスマが、幻惑の波動となり、マインドコントロールにつながる事があります。
現状、規模の大小問わず、あらゆる場面でマインドコントロールが見られます。当事者でない限り、なぜそんな状況から抜け出せないのか不思議に思う例も数々あります。
そのマインドコントロールですが、それをしている側に、コントロールしてやろうという意図があるとは限りません。その関係が良好な関係であると確信しているケースもまた多くあります。
その確信をこちらに転嫁されるので、こちらもそう思わされてしまう、というマインドコントロールがあって、それは恐らく、悪意を持ってするコントロールよりも、強力なのです。
なぜなら、マインドコントロールしている人自身も、線形波動思考に幻惑されており、言わばマインドコントロールされているからです。つまり二重のマインドコントロールになっているのです。
私がしばしば例に挙げる、かの独裁者も、恐らくこれに当たるだろうと思います。
もしこの当時、自分がドイツ人の一人だったらどうだったか、と考えることがあるのですが、私自身はあのようなタイプには幻惑されなかっただろうとは思います。(ただ、周りに合わせないと命の危険があることから、それを表明したかどうかは分かりませんが。)
私は大抵の人には幻惑されません。線形であればそれと分かり、透け見える底の浅さから、興味を抱くこともありません。
ですから、相手が相当に高度なスピリチュアリストでもない限り、幻惑されるなどという事態は起きなかったと思います。
今も完全に除去できたとは言えないのですが、苦痛に満ちた経験を通して、線形波動がいかに強力なものであるかを知ることになりました。それをしている側が、悪いことどころか良いことのように確信しているタイプのマインドコントロールは、中でも最も強力だということもわかりました。
基本的には、事態を客観視できる人間である私は、こういう事でもなければ、マインドコントロールの怖さを本当には理解できず、されている人に対しても、なぜされるのだろうと首を傾げていたかもしれません。
しかし、最も学習しづらい立場とは・・・
そういう状況に陥った時には、大変苦悩もするものですが、最も怖いのは、前述のとおり「悩まない」ことだと思います。
ところでこれは加害側にも言えるのです。悪い事だと思わず、もしも自分が加害者のように指摘されると、心外にすら感じるのです。
つまり加害側も被害側も学習の過程にあるわけですが、ほとんどの場合、「悩む者」つまり苦しんでいる方が先に気付き、その状態から脱却しようとします。したがって、大抵は、被害側が先に気付きを得ます。
そう考えますと、加害側の方が、気付きが遅れるわけです。で、加害側というのは、目下の地球世界では、主としてカリスマを発揮している人達です。もしくはカリスマを発揮している人に心酔して、手先となっている人達です。つまり指導者的立場の人と、それを支持する人達です。
ナザレのイエス師が、「貧しき者は幸いなり」と言ったそうですが、人が本格的に目覚めるには、その方が有利であるという事かもしれません。
つまり、線形波動が幅を利かせる世界で、指導者側に立っている人達や、周囲からすごい人と持ち上げられているような人は、線形波動から最も脱却しづらい立場にある人達、という事もできます。
地球人(恐らく大半は元ルシファー人)の力の強さ
こうした個々人の差はケースバイケースで、一概に説明するのは難しいですが、線形と非線形という大きなくくりでいいますと、例えるなら物質と反物質くらいの違いがあると申せましょう。なので当ブログでも「非線形波動への大転換」などといった言い方をしているわけなのです。
現在、地球に来ているルシファー人は、惑星ルシファーにて、高度な文明に至ったのでしょう。線形波動での進歩が極まったら、ある時点で非線形への転換を図らねばなりませんが、そこを図りそこねた人達が、地球にてそれをさらに追求しているのだと思われます。
ただし彼ら自身も、地球に転生した時点で、進化の初歩のような低い波動に落ち込んだところを、波動を上げることから「学び直し」をしているので、またぞろルシファーでの失敗と似たような道をたどってしまっているのかもしれません。
しかし彼らが一旦「手放す」ということを知ったら、波動の転換は急速かもしれません。
ただし、それにはかなりの勇気が要るかもしれません。もしかしたらルシファー人は強大な力を持ちすぎていたのかもですね。
もちろんルシファー人に限りませんが、力のある者が、それを手放すことは、富める者が全ての財を手放すよりも恐れを抱かせるでしょう。それはそれまで彼らが経験したことのない、文字通り未知の領域です。
しかし線形波動の持っている力は、いかに強大でも、本当の力ではなく、かりそめの力なのです。と、いうことを、頭では分かっていたとしても、実際に手放すとなると、崖の上から飛び降りるような恐怖かもしれません。
最初から谷底に近いところにいる者には、それほどの恐怖はないかもしれません。その意味で、線形波動の人達の抵抗というのは、強大な力をほしいままにしてきた人ほど、凄まじいものがあるのでしょう。
でも、不可能なわけではありません。波動が高まれば──もっと言えば、波動が高まることを、自分自身に許せば──、それはなされないわけにはいきません。
言ってみれば、線形の人というのは、波動を上げるポテンシャルを持ちながら、ある臨界点を超えるのを恐れているのです。その恐れを手放したとき、波動は臨界点を超え、非線形への転換がなされるでしょう。
波動の転換は、個人規模でもなされる。というか、まずは個人規模でなされた方がよい
つまり非線形波動への転換は、最終的には地球規模でなされるのですが、個人規模でもなされます。
波動には個性があり、それぞれ目指すゴールも道筋も違いますが、波動が上昇することを目指すなら、いずれ必ず非線形になるという点では同じなのです。
線形波動がいくら周波数を上げても、線形波動は線形波動です。
しかし、「量的変化による質的変容」というものがあります。
これは、一定以上に波動が高まった時、その本質までが変化してしまうことを指します。
つまり数値の変化が、質の変化になるのです。
この転換は、徐々に変化していく場合もありますが、急激に起きることもあります。極端に言えば、昨日まで線形であった人が、今日、非線形になることもあり得るのです。
つまり、個々の人が非線形に変化していく過程として、
波動を上げる
↓
波動の高まりに応じて意識が変わってくる
↓
高まりが極まってくると、ある時点で臨界点を超える
↓
線形から非線形に転換する
というのが、順当な道筋と言えそうです。意識の変化と、波動の高まりは、シンクロしていて、恐らく単純にどちらが先とも言えないでしょう。
これらの変化は、急激よりも徐々になっていく方が、苦痛やストレスが少ない感じがしますよね。
ワンダラーが今ここに在る意味
こうした個々人の波動は、世界に渦巻いている波動にも当然影響していて、それら地上に渦巻く線形波動が非線形へと転換されることは重要です。
というのも、それが個々人において成されないとしても、波動の転換は起きるからです。
地球のアセンションは決定事項だと申しました。アセンションとは、波動の大転換が成されることですので、アセンションが成される以上、波動の転換は起きないわけにはまいりません。
地球規模でも、急激な転換は、大きな「現れ」を伴います。急激であるほど、その「現れ」の凄まじさは筆舌に尽くしがたいでしょう。
地球規模での、「徐々に変化する」とは、個人個人のレベルで、一人また一人と、線形から非線形への転換が成されていくことだと思います。
つまり、まずは個々の人が、一定数、線形から非線形への転換ができていれば、地球規模の波動の転換の衝撃が、それだけ和らぐだろうということです。
だからこそ、ワンダラーの使命は重要だと思います。
その、ワンダラーの使命にもそれぞれあって、特に重要だと思われる、日本のワンダラーの使命について、次回以降で考察してみるつもりです。
一応、注釈しておきますと、「日本のワンダラー」とは、渡辺氏によると、「日本の国に生まれたワンダラー」と表現されています。この言い方は注目していいと思います。
私はもう少し踏み込んで、「日本という場が持つ役割を担うワンダラー」とでも言っておこうかと思います。
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