管理と自由、発展と停滞
資本主義や社会主義、共産主義──物質次元ならではのこれらのシステムによって、社会はどのように表現されるのか。それらの考察が、アセンションにとって重要な理由
光の皆様、いかがお過ごしですか?
前回は、自由というものが何であるか、掘り下げてみたのでしたね。自由を知るために、制限について考えてみたのでした。──ただ、話を整理するために分類した、といったニュアンスで記事を締めくくりましたが、少し補足させていただきます。
私は別に話をわざと回りくどくしたのではありません。むしろ自由を考えるなら、制限を考える方が順当なのです。なぜなら私たちの宇宙は、本質的に自由がニュートラルな状態だからです。
ですから、今自由がないとすれば、それは何らかの制限があるからで、制限を取り払えばその分自由になることになります。
ただし、私たちが普通に考える制限とは少し違いますが、何らかの「制限」のようなものがなければ、宇宙は何も描出しません。
制限というよりは制御と言った方がいいかもしれませんが・・。宇宙が宇宙として描出されるからには、それが可能となるだけの秩序があるわけで、また、宇宙にあまたある世界──銀河や星々、次元域──に、それぞれの個性・創造性があります。その個性・創造性が、ある種、制限とも言えます。それはどの次元、どの周波数段階でもあると言えます。そういう意味での制限は、必ずしもネガティブなものではないわけです。
とはいうものの、この物質次元では、制限が極端なあまり、単に量的な違いを通り越して質的な違いにまでなっています。本来であれば非線形の宇宙が、線形になってしまうほどの制限ですね。(この、量的変化が質的変容となる、というのも──それが上方に向かう場合も下方を見る場合も──宇宙における普遍的なセオリーです。)
以上、前回の締めくくりでは少し説明不足だったので補足させていただきました。これを踏まえたうえで、また次回以降、考察していきたいと思っています。
まずは資本主義と社会主義または共産主義の定義から
今回は、物質次元世界に目を戻してみると申しましたので、そちらのお話をしたいと思います。前の記事で、資本主義や社会主義(あるいは共産主義)も考察する必要があると申しました。その話です。
おそらく上位の次元では、こうしたカテゴリー分け自体が無いと思います。実際、この世界でだって、カテゴリー分けになってるのかな~的なカテゴリーとも言えますからね。今の世界を見ても、色々な国で、社会主義と資本主義がにじみ合っているように見えます。そうしたことも含めて考察してみましょう。
まず、資本主義とか、社会主義または共産主義とは何なのか、ざっくり押さえておきましょう。
資本主義とは、自由な経済体制の競争社会です。個々の人や会社が、それぞれの働きや生産性に応じて報酬を得て、拡大したり、縮小したりする社会。日本やアメリカ、EUなどが資本主義の社会です。
社会主義は、国家が企業や生産を管理し、国民に平等に分配する社会です。ここでいう国家とは、国の政治を司る組織のことです。原則として個人が財産を所有することは認められません。
共産主義は社会主義の究極形で、理想社会として提言され、全ての生産物、財産は国家が管理するのではなく、国民全員の共有物とされ、個々の人が必要に応じて受け取ります。
つまり現実には共産主義の国は無いということはお分りですね。では社会主義の国ってあるんでしょうか。あるにはあるけど、何だかこの定義と、社会主義を標榜している国の現実と、合ってるようで合ってない感じもしますよね。実例を考えてみましょう。
現実の社会主義の国の特徴
社会主義の国で真っ先に思い浮かぶのは、やはりお隣のC国じゃないでしょうか。近年、発展著しい国ですね。この急激な発展が始まったのは二十世紀も半ば過ぎ、終盤に入った頃のことです。
かつてこの国には絶大なカリスマを誇る指導者がいました。固有名詞は避ける方針をふまえ、語感で書きますと(イニシャルじゃなくて語感です)MTTという人です。そもそもが、何か高い業績を築いたからというより、何もしてないうちから個人崇拝が始まった、というくらいのカリスマでした。この人物が今のC国を共産主義国家としました。上記の定義に従えば、共産主義というより社会主義国家ですが。
彼は国民の信奉を一身に集めたものの、その政策で夥しい死者を出したことでも知られています(本国で「知られている」かどうかは分かりませんが、私たちはネットの情報等で簡単に見られます)。それでも亡くなるまで最高権力者の地位にありました。奇妙なことに、C国に限らず、社会主義や共産主義を標榜する国は、なぜか独裁政権になりますね。
彼は独裁者の例に漏れず、自分の意に沿わない者を次々に排除しますが、中で一人だけ、排除されてもまた返り咲く人物がいました。この人をTSHとします。
カリスマは絶大でも政治手腕では疑問符もあったMTTに対し、TSHはキレッキレの頭脳を持った政治家でした。彼が失脚しては返り咲いたのも、その能力の高さゆえにMTTが警戒し、能力の高さゆえに完全に排除するわけにいかなかったから、と見られています。
このTSH氏こそ、今のC国の発展をもたらした人物です。MTT亡きあと権力の座に就いた彼は、「先に豊かになれる者から豊かになれ」というスローガンの元、改革開放政策を打ち出し、これを「特徴ある社会主義」と名付けました。つまり彼は、社会主義体制に自由経済を持ち込んだのです。この政策によって、それまで色々な意味で発展途上状態にあったC国の人々の潜在能力は爆発しました。その後の急速な成長は皆様もご存知の通りです。
ただしTSHは、あくまで社会主義国家──この場合、独裁政権という意味も含んでいますが──を、資本主義や民主主義に変えていくつもりはありませんでした。一方では競争原理で経済を発展させ、一方では出過ぎる杭は許さない強権政治を貫くという、現在にまでつながる采配の基を築いたのです。
このあたりの経緯に非常に印象深いものを個人的に抱いていているのですが──それは社会主義と自由経済について考えさせられるからです。
C国のお隣のR国も、かつては社会主義の連邦国家で、それがある政治改革をきっかけに崩壊したのち(一応)資本主義の国になりました。今の状態を見ると、あまり変わってないようにも見えますが、社会主義時代はスーパーに物が溢れてるなんてことはなかったそうですし、外国資本の企業が参入してくることもありませんでした。
とはいっても現状をハタから見ると何だか資本主義っぽくないですよね・・。国全体として得る富の大半を、政治の中枢や、それに繋がっている富豪が享受してるそうだし、強権政治体制も崩しません。ちょっとTSHのやり方を踏襲したようにも見えます。
両国のような大国ではないですが、アメリカの近くにある小国KBが、やはり社会主義国です。この国も独裁政権です。最近、ようやく自由経済の風が吹いてきているそうですが、現状は産業もあまり発展せず、人々の生活も豊かではないようです。
こうして見てみると、社会主義の国は、なぜか発展しない。そしてなぜか独裁政権になる、という共通点があるようです。
独裁政権についてはいったん脇に置いて、「なぜか発展しない」という点に注目してみましょう。
社会主義より資本主義の方が優れてる・・?
社会主義も共産主義も、全員が労働をいとわず、一人一人が互いに助け合い、社会の為に奉仕することを前提としています。
こうした社会で皆が幸せになるためには、全員が、社会を構成する歯車となり、しかもそれに全員が満足している必要が──つまり、その社会の構成員全員が、能力だけでなく情緒や思考もほぼ同じか、少なくともその意識に何らかの共通の指向性を持っている──必要があります。
しかし、そんな理念をよそに、現実には産業の発展も停滞しがちで、今一つ繁栄しない様子がうかがえます。その原因は、何と言っても国民が能力や創造性を発揮しえないからでしょう。
ぶっちゃけ、いくら働いても報酬が同じってことが、意欲を減衰させるのは、むしろ人として自然です。怠けてる人も、頑張ってる人も、同じ報酬だったら、頑張る気も失せますね。
「特徴ある社会主義」というスローガンにしても、聞こえはいいですが、すでにこの時点で、自由主義経済が、社会主義の経済よりも秀でている点があることを、暗に認めているとも言えます。
今のところ現実には存在しないけど、共産主義なんてもっと何だかなーな感じですよね。
だって、皆で働いて得た財産を、それぞれ、必要に応じて与えるんですよ・・働きに応じてでもなければ均等にでもなく、必要に応じてです。つまり働こうが怠けてようが、要求すれば貰えるという仕組みですからね。私だったら、何だかなーですね。
それを思うと、この仕組みを「理想社会」として考え出した人って、ご本人自身がかなり高潔で勤勉であると同時に、他の人々も、程度の差こそあれ同様であると考えていたフシがあります。
もう一つ言えるのは、これは民族性とは関係ないということです。現に、社会主義体制では発展がおぼつかなかったのが、ちょっと資本主義の原理を取り入れただけで爆発的に発展する実例から見ても、その国の人がもともとヤル気がないわけではないことは明らかでしょう。
民族性が表れるのは、どのように発展し、どんな社会を創造するかという個性の面であり、発展する・しないという本質的な部分では、民族による差はないようです。
つまり人間は、その本質において、管理されすぎたり、働こうが働くまいが同等に扱われると、どうもその人の持っている潜在的能力が発揮されないようだ・・ということがうかがえます。それはとりも直さず、ある程度の競争原理を取り入れることで、個々の能力が引き出されてくることも示しているようです。
では、全く管理せず、一人一人の自由に任せて競争させておけばいいんでしょうか? 社会主義よりも資本主義の方が優れているから・・?
資本主義だって、純粋な自由経済では立ち行かない
ところが、アメリカの若者は七割が社会主義思想だという話です。またアメリカだけでなく西欧諸国でベーシンクインカムの議論は盛んで、日本にも支持している人が沢山います。
ベーシックインカムは、ちょっと社会主義のようなところがありますね。ただ、現状でも資本主義社会にも社会福祉制度はありますから、その一環とも言えますが。
こういう議論が起きるのは、他でもありません。資本主義の競争社会を、生きづらいと感じたり、閉塞感を抱く人が沢山いるからです。
社会福祉だって、今では当たり前になっていて資本主義社会の一部みたいに思われがちですが、これって政府が管理しているわけですから、純粋な自由経済とは言えませんよね。
それに政府は、経済市場を常に監視して、介入したり、規制をかけたり、色々な施策をするなどして管理していますよね。
こうしたコントロールは、資本主義社会ができた当初からあったわけではなく、とにかく政府は市場に介入しない方がいい、自由にやらせておくのが一番と考える学者もいたそうです。でもそれだけだと、大不況とか、極端な貧富の差とか、色々と困ったことが起きてきたわけですね。
自由、自由といったって、何かしら制御がないと、自由じゃなく無秩序になってしまう・・。こうした資本主義の欠点を補うために、福祉の充実や市場介入など、従来の資本主義にさまざまな修正が行われてきたわけです。
TSHのように、社会主義の根本を否定するかのような政策には、「それって社会主義って言うの??」と疑問視する声もあるようです。が、そこまで真っ向からではないにしても、資本主義社会の中にも社会主義のエッセンスが取り入れられているわけです。料理に例えるなら、資本主義‘風’の社会主義とか、社会主義を配合した資本主義とでもいった具合で、純然たる○○主義に属している国は、現実には存在しないと言えます。
物質世界の考察も、実はスピリチュアル的にとても大事
「ふーんなるほどね・・それにしてもなんか今回、スピリチュアルっぽくないですなあ・・」という声が聞こえてきそうですが、大丈夫です。段々そうなってきますから。何しろ潜在意識に届かせるのが目的ですから、順を追って説明していく必要があります。
今回述べたことだって、物質世界で起きていることではあるけど、スピリチュアルと関係ないどころか、スピリチュアルなのですよ。何しろ人々の想念が描き出してることなんですからね。
皆様の頭の中では、物質世界とスピリチュアルが混在していると思います。その本質をたどれば、切り分けて考えるものではないのですが、実際には、あなたの中で、それは融合していません。乖離しているのです。どのくらいかって、それはもう、うーんと距離があるのです。なぜって、「三大ツール」を続けているあなたは、高い方のレベルはどんどん高くなっていて、その一方で、物質世界のレベルの観念が、まだそのまま残っていたりするからです。
この乖離、「物質世界とスピリチュアル」という、観念のギャップが、すなわち、当ブログで「頭上の壁」と呼んでいるものなのです。
ですから、これを接着させないといけないのです。ただし、強引に接着させるわけにはいきません。接着させるレベルというものがあり、一定以上に高いところで接着させないといけません。
低いところで接着するとどうなるか? カルト信者やスピリチュアル陰謀論者となってしまい、アセンションどころか、迷宮の想念世界の中に沈んでしまいます。つまり接着のレベルというのも、すごく大事なのです。
ということで、順を追って話していく必要があるわけですね。なので、もっとスピリチュアルな話を読みたいなーと思う方も、これもスピリチュアルなんだ、大事な話なんだと思ってください。言ってみれば「外堀を埋める」というやつです。
さて、前項の中で、「社会主義国家はなぜか独裁政権になる」という話を脇に置きましたね。
これを俎上に戻して、考察してみたいと思いますが・・今回はここまでにしておきましょう。
本記事で一気にそこまで進めようかと思ったのですが、書いていて少し長くなったかな・・と気づきました。ここまでの話でお腹一杯の皆様の様子が浮かんできましたので、続きは次回にいたします。
ともあれ、これもあなたの心の中の、物質世界とスピリチュアルとを、可能な限り高い地点で融合させる試みです。今回を含め、ここまでのレクチャーを、少しでも頭の中に定着させておいてくださいね。
焦らなくても大丈夫です、段々スピリチュアルになりますからね・・。というか、焦って話をはしょりますと、元も子もありませんから。心の中のかさぶたを、少しずつはぎ取ってまいりましょう。
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