リスクの認識と回避
最大のリスクは、リスクだと認識しないこと。線形波動の迷宮が脅威なのは、引き込まれる魅力があるから。独裁者が脅威なのは、独裁者だと認識しないから
高貴なるライトワーカー、光の戦士がた、いかがお過ごしでしょうか。
今回はまず、冒頭にて、前回記事の補足説明などを書かせていただきます。
前回は記事アップ直後、若干イレギュラーな事態となり、読者の方にはわずらわしい思いをさせてしまい失礼しました。お蔭様で、表示/非表示の切り替えも一、二度で済み、あとは補足説明、そして波動的な処理で、何とか安定的なレベルに持ち直すことができました。
怪我の功名と申しますか、実践の重要性を今一つ認識しきれてない方がいらっしゃることに改めて気づかされ、その点について強調させていただけたのはよかったと思っております。実際、実践を少し頑張ろうか、という気になった方もおられたようです。
スピリチュアルセオリーは特にそうなのですが、読むことと理解することはまた別のことだというのは、私も読者様の反応から何度か気づかされています。かつては、「これについてはもう書いたよね」と思って繰り返すことはしなかったことも、表現を変えて何度となく繰り返すようにもなりました。
読者様の中には、「また同じこと書いてるな」「うんうんわかってるよ」という反応をする方もいると思います。実際、次第に記事を熱心に読まなくなり、いつしか他のスピリチュアル発信に興味が移ってしまった人もいるでしょう。それだけならまだいいのですが、線形波動域の発信に幻惑され、引き込まれてしまった人もいる模様です。
線形スピリチュアルは大変に厄介なスピリチュアルで、一見いかにももっともらしかったりすることもあり、ご本人が非線形から離れてしまっていることに、なかなか気づきません。
ですが私は、同じことを繰り返しているように見えても、一度として同じことを書いているつもりはないのです。スピリチュアルの本質に至るために、一つのことをさまざまな角度から、あるいは表現を変え、あるいは違う文脈の中で書くことによって、深い理解に至ることにつながります。
また、読む人の霊性の段階によっても受け取り方が違ってきます。以前は流し読みだったものが、霊性が進んだ段階で読むと、あらためて重要性に気づいたりします。
私が敬愛する五井先生も、数多く出ている著書の中には、似たようなことが書かれている場合がよくあります。これも、似てはいても、同じことを別の角度から書いてあるという時点で、違うアプローチでの解説なのです。
なぜそれが大事かと申しますと、理解の深度を深めること、それ自体が霊性の開発だからです。しかも、霊性の度合いはツールの威力にも反映されます。同じツールでも、その人の理解の深度によって威力が違うという話、以前もいたしましたね。私がツールの提供だけでなく、その背後にどんなセオリーがあるのか、行を割いて解説するのはそのためです。
読者の方にありましても、そのおつもりで記事をお読みいただけますと、より深くよりスムーズに、霊性の階段を上がっていくことができると思います。
経済のレクチャーでキモとなること
その一方で、こちらが意図せぬ解釈をする人もいるようです。いわゆる「想像の斜め上を行く」ような反応を見せる人がいないとも限らないようで・・・。ちょっとその流れで、ふと思い浮かんだことがあるので、これも補足説明させていただきます。
前回記事、冒頭の説明で暗号通貨システムについて触れました。この、ブロックチェーンシステムを編み出した人物が、専門家から天才と絶賛されていることも書きましたが、システムの概要の説明を見た時、本当に天才だなあと私も思いました。
それはそうなのですが、だからといって私が皆様に、暗号通貨への投資を勧める意図は全くありませんので、そこは誤解なさらないようにお願いします。
勧めない、というのは、勧めもしないし否定もしない、ということです。
「あ、そりゃそうよね、システムが優れていることと、投資対象としてどうかってことは、別の話だもんね」とお思いの方もいるかもですが、ここでいう肯定も否定もしないとは、そういうこととも違うのです。
これは暗号通貨に限らず、他のどのような手段、対象についても同じです。その理由については、旧ブログからの読者様ならお分かりと思いますが、中には読んでいないか、忘れてしまった方もいるかもしれません。現在お休みしている経済のテーマですが、再開したとき、あらためて説明しようとも思っています。(もし今時点で確認したいなら、旧ブログを読み直してみてください。)
一応、端的な点だけここに書いておきましょう。これまでも今後も、私が、この物質世界での経済活動や資産形成について、特定の手段や対象をお勧めすることはありませんし、否定もしません。犯罪行為や不正行為、および、何らかの被害に巻き込まれそうな行動などについてなら否定や批判をするかもですが、そもそも話題にすることもあまりないでしょう。
これは、単に私が、本当はお勧めしたいものはあるが、立場上、自分の考えは表明せずに中立を維持する、ということではありません。ここが肝要な点です。純粋に、何をお勧めするのも否定するのも、不適切だからです。
なぜなら、ある人にとっては金銭を得る最も適切な手段であるものが、別の人にとっては、損失する危険が最も大きいものだったりすることがあるからです。これは投資に限りません。経済のためのあらゆる手段について言えることです。
すべては、個々の方それぞれの、波動整合なのです。その人の魂の来歴・波動状態と、どのような手段でどれほどの金銭を得るかは、完全に相関していて、個々人それぞれです。
会社勤めでは高給を得られる人が、独立起業したら全く立ち行かなくなることもあるし、その逆もあります。同じ会社勤めでも、会社それぞれ、職種によっても違うし、起業も同様です。投資も、投資の種類はもちろん銘柄によっても違います。
少数派ではありますが、中には宝くじと波動整合している人だっています。純粋に運が左右すると思われているものでさえ、当たる確率は買う場所や枚数が同じなら同等、ではありません。
何であれ、それによって何をどれだけ得られるか、あるいは得られないかは、すべてその人その人、お一人お一人の波動状態との整合度合いによるのです。
ですから、「私は〇〇で儲けた。だからあなたも儲かる」なんて人がいたら、それは眉唾だと思った方がいいです。詐欺ならもちろんですが、仮にその人が、それで儲けたのが事実だったとしても、あなたが同じことをして儲けられるかは分からないのです。ある人が投資して利益を得たのと同じものを、あなたが投資したら損失に転じてしまうことだってあるのです。それが何であれ、あなたと対象との波動整合の度合いだけが決定づけるのです。
以前書きましたが、スピリチュアルな発信の中にも、金(ゴールド)がいいだとか、何を買っておけだとか言っている人がいます。一般の投資関係の発信ならわかるのですが、スピリチュアル的な発信で、経済上、特定の手段や対象を勧めるものは、エセ・スピリチュアルと言い切ってしまっていいでしょう。
大抵はスピリチュアル陰謀論者か、それに影響されてしまっている人で、スピリチュアルへの浅薄な理解から、線形波動に幻惑されている人です。
陰謀論ほど極端ではありませんが、会社勤めをやめて、独立起業すべきみたいな考えも、スピリチュアリストにありがちな考えです。これはアメリカの影響が大きいかもしれません。彼らは会社勤めよりも起業やフリーランスを尊ぶ傾向があるようです。ですが、フリーになったことで、かえって閉塞的な状況に陥る人だっていますよね。フリーになるなといっているんじゃないですよ。会社勤めからフリーになったら、水を得た魚のようになる人だっているわけですからね。
本来、その人にとって快適であることと、その手段に定まったものはありません。人それぞれです。(ついでに申しますと、同じ人であっても、その時点の波動状態、タイミングによっても変化します。)
当ブログでしてきた、または今後しようとしてる、経済のテーマ、レクチャーは、純粋にスピリチュアル的な意味合いのものです。その目的は、本質的な意味合いで、あなたを経済にまつわるネガティブから解放するためのものです。なぜなら、この三密度物質世界で生じるネガティブの多くが、経済と関わっているからです。
ちなみに、経済的な手段はお一人お一人、それぞれの波動整合だと書きましたが、その波動整合は、生涯不変ではありません。これも、あなたの波動フェーズ、ネガティブをどれだけ手放せたかによって、変化していきます。経済のテーマは、スピリチュアルであると同時に、この物質世界の現実とも相関します。ただし、念力とか、無理くりな引き寄せによって得られるものは、むしろあなたのフェーズを引き下げたり、停滞させる恐れがあります。純粋にスピリチュアル的な意味合いというのは、そうした線形レベルからの解放を期することでもあります。
そして、これも何度か書いてきたことですが、それが功を奏するための必須の前提となるのが、あなた自身の波動レベルを一定以上に上げることです。そのために必要なのが、「三大ツール」の実践です。レクチャーを再開した際も、これが大事となりますので、一回でも多く実践をなさることを、あらためてお勧めしておきます。
オール・オア・ナッシングではなく、あなたが今やっている実践を、足りないと思うなら少しでも増やすこと、十分だと思うなら維持、継続することが大事です。
線形波動に引き込まれた魂の、凄まじい抵抗波動
さて皆様、夏至のエポックポイントはいかがでしたか?
私としては、同時瞑想を中止せずに済んだのは何より幸いでした。この日は他にも、三つの祈りをするとご説明しましたね。これらはいずれも、大きな抵抗波動が想定される祈りです。安定した天体配置にあることが支えとなって、いつもよりも挑戦的な祈りができるように思います。
同時瞑想のサポートについては、いくぶん、初歩的な波動が観ぜられました。参加条件を設定して以来、久しく観じえなかったレベルです。もしかしたらイラストの購入によって参加した方の中のお一人とかかもしれません。購入者自体が多くないので、別に負担になるほどではないですが。
「イラストの波動が分かる」というのが、若干抽象的なので、ご自身では条件に適ったと思っていて、波動フェーズがそこまで行っていない方がいるのかもしれないですね。お心当たりがある方がいたら、参加するなとは言いませんので、もう少し実践を頑張ってみることをお勧めします。いつも申しておりますように、実践は出来高制です。やればやった分、今いるタイムラインを上方修正できます。
今回は、というか、今回もですが、最も厳しかったのは、いったんは目覚めながら線形波動に引き込まれてしまった魂に、気づきの光を送る祈りです。
まだしも、目覚めていない人に目覚めの光を送る方が、よほど抵抗波動が少ないです。
最近では私も、スピリチュアル陰謀論など、線形波動の迷宮に浸かりきってしまった人に対して、無理に引き戻そうとするのはやめています。線形波動に引き込まれながらも、アセンションへの強い思いゆえに、まだ消えない灯が心に灯っている──そういう魂であればきっと届くであろう、一筋の気づきの光を送るにとどめています。
にも拘わらず、抵抗波動が強力に湧き上がりました。何度もそれを押しとどめて、本当にアセンションを望んでいる魂だけに光が届くように祈ったのですが、かなり大変で手こずりました。これはもうちょっと無理なのかな・・そろそろやめた方がいいのか・・と、考え始めたところです。
冒頭にも書きましたが、線形波動の迷宮に引き込まれるのは、それほど厄介な事態なのだと痛感させられます。
そこはしかし、意外にもその人たちにとっては、ある意味、そこそこ快適な世界なのかもしれません。
線形の迷宮の最大のリスクは、迷宮だと認識しないこと
例えるなら、いわゆる牢屋ではなく、その何倍もある広い牢獄と言いますか・・。それなりに広いし、その世界の中だけでいうなら自由だし、楽しいこともある。彼らにとっては楽園なのかもしれません。
つまり彼らは、かなりな確率で、自分たちはアセンションした、あるいはアセンション・タイムラインにいると思っている可能性もあります。袋小路に入ってしまった、と自覚している人もいるかもしれませんが、むしろその方が幸いです。なぜなら、何とか出口を見つけようとするでしょうから。
でも、そんな自覚のない人たちもいる。どこが袋小路だって? 見回してみなよ、広い世界ではないか。それにとても快適だよ? 空は青く、自然は豊かだし、何でも手に入るよ? どこが牢獄?
──でも、実際には、限界のある世界で、どこまでも行けるようで、行こうとすると行き止まりになる。見上げれば、見果てぬように広い空があるが、昇って行こうとすると、天井がある。
それは、誰がでもなく、その人たち自身が、自分たちの想念で作り出した世界に、自分たちを閉じ込めているから(あるいは閉じこもろうとしているから)です。言ってみれば、彼ら自身が見ている夢の中にいる感じでしょうか。だから、揺り起こそうとする人がいると、素敵な夢の世界を邪魔されたとばかりに、反発するのかもしれません。
そんなだから、最初はいいんだけど、やがて同じところをぐるぐる回っているだけに思えてくる。それは恐ろしい退屈の始まりでもある。自分たちの想念の限界が、その世界の限界なのです。その限界が、その世界の、目に見えない壁である。壁の先には何もない。そのことにようやく気づくとき、息苦しさを感じ始める。そして抜け出したいと思うようになる。
ただ、そう思うまでに何年も、何百年もかかったりする。そして、いざ抜け出そうとしても、出口がなかなか見つからない。なぜって、そこまで長きにわたり迷宮に入りこんでしまうと、同じレベルの想念、想像力を持った人同士しかいないから。──
線形波動の迷宮というのは、かくも厄介で、ある意味恐ろしいものだと思います。抜け出したいのに抜け出せない──よりも、そもそも抜け出したいと発想できない恐ろしさ、と申しますか・・。
それに比べますと、未だスピリチュアルに目覚めていない魂のほうが、まだしもアセンションへのチャンスが大きいとさえ思えます。
今いる世界に閉塞感を抱き、「ここはまるで牢獄だ。抜け出したい」と思うことで、アセンションへの強い思いが呼び覚まされる。人がしばしば、人生で行き詰ったときに、スピリチュアルに心が向くのは、そのせいかもしれません。
ただし、そこで出会うスピリチュアルが、真実なのか、まやかしなのか──それが命運を分けることになる。そして何より、一度は真のスピリチュアルに目覚めながら、慢心や油断から、脇道に逸れ、まやかしのスピリチュアルに引き込まれると、抜け出すのは容易ではないということ。
彼らに気づきの光を送るたびに、猛然と湧き上がる抵抗波動に見舞われるにつけ、読者の皆様にも、線形波動の迷宮のリスク、あらためて心に留めていただければと、思わずにはいられません。
独裁者の権力拡大を防ぐために、一番大事なこと
実のところ、予告しておりました独裁者タイプの考察でも、この、線形波動に引き込まれるメカニズムが、大きく関わっています。まずは順を追って見てまいりましょう。
先日、とある番組で、ある人物の死、それに至るまでを再現ドラマ化しているのを見ました。それはR国の政治活動家、野党の代表者N氏です。つまりP氏の政敵です。彼は暗殺されたと言われていて、それを命じたと目されているのはP氏です。
P氏といえば、昨年、傭兵組織の指導者の死亡にも関与したと言われていますが、大きな戦果を上げてきた自らの手駒を手にかけたのが事実なら、悪手であるとも言われました。今回のN氏の死がP氏によるものなら、さらなる悪手かもしれません。
傭兵の親分でさえ、その死によって英雄視されてしまっているのに、ましてや、生前から高い人気を誇っていたカリスマ的な指導者を死なせれば、R国の歴史に名を刻む英雄になりかねないことくらい、少し考えればわかりそうな気がしてしまうのですが・・・。
N氏の政治理念や功績について、私はあまり知らないのですが、それはさておき最も着目したのが、この番組自体が、普段から政治や社会問題をテーマにしているドキュメンタリー番組ではなく、バラエティ番組の再現ドラマだったということです。
かつては、上半身裸での乗馬姿が話題になり、ナルシストな変わったオジサン、みたいな、ちょっとお茶目?なイメージをP氏に抱いていた人たちもいた模様ですが、今ではもうそんなイメージは一変したでしょう。逆らう者は容赦しない冷酷な独裁者のイメージが、世界に浸透しています。
政治に興味のない人も含む、広い視聴者層向けの番組で、こうした内容を扱うこと自体、今のR国やP氏のイメージが、「独裁国とその指導者」ということで定着していることがうかがえます。
私はこの、「独裁者を独裁者と認識する」ことが、独裁者の権力拡大を防ぐ、まず何よりも重要な要素だと思っているのです。
独裁になることと、政治上の主義は無関係
かつて、ドイツで猛威を振るった独裁政権ナチスを率いたH氏も、登場したての頃は、あのような独裁者になるとは思われていませんでした。
今では、ナチスはカルト教団のような狂信的な集団だったと評されたりしているし、H氏も残忍な独裁者と考えられていますよね。でも、それはナチスが各国に侵略戦争をしかけて以降の話だし、それでさえ戦争末期になるまでは、そこまで猟奇的な集団だとは思われていませんでした。
彼らが台頭した当初は、海外から見れば、H氏も数ある政治家の一人で、強権的だと思われてはいたでしょうが、それは政治指導者への論評の範囲でした。国内での彼は、その最盛期には、まるで映画スターのような憧れの対象であり、女性からの人気も大変なもので、ファンレターが日に何通も来るような存在でした。
最近私は、ネット発信でR国やC国など独裁国家や、独裁者についての論評を見ることがあります。その中で気になるのは、R国やC国が独裁国家なのは、社会主義国家であることに起因しているかのような論調です。
しかし以前の記事で書いたように、社会主義であることと、独裁国家であることは、本質的には無関係です。社会主義や共産主義の発展途上で、独裁になりやすかったというだけです。現に今ではR国もC国も、経済体制としては資本主義です。ただし経済市場への国家の介入が著しく、指導者の胸三寸でコントロールされてしまう状況にあります。このため国家資本主義などと呼ばれます。
逆に、社会主義だからといって独裁国とも限らず、その代表が北欧国で、社会民主主義と呼ばれたりしてますよね。アメリカの多くの若者が憧れる体制だとも言われます。
今は経済がテーマではないので、これ以上は脇に置くとして、もう一つ違和感を覚えるのは、日本やアメリカなど民主主義国家が、独裁とは無縁であるかのような論調です。
思い出していただきたいのですが、ナチス・ドイツが台頭した当時のドイツも民主主義国家だったし、ナチスは国民の投票で選ばれた政権でした。今のR国みたいに、対立政党を排除して行う茶番のような投票ではなく、普通の民主主義の投票です。ナチスはファシズムだし、社会主義や共産主義と対立していました。
要するに、独裁になることと、民主主義国であったかどうかは関係がないということですよね。いったん独裁国になってしまったら、正常な選挙は行われなくなります。つまり、民主主義国であったとしても、ある一線を越えると独裁国になってしまいます。
そしてまた、政治上の主義も経済体制も関係ありません。社会主義だろうが資本主義だろうが、独裁国であれば同じことです。逆に、民主主義の国であれば、社会主義であろうが資本主義であろうが、関係なく民主主義だ、ということですよね。
日本が(多分)独裁国家にならない理由
私たちは普段、こんな風に思っています。「お隣の国は独裁国家だけど、我々の国は民主主義国家だし、言論も自由だ。この国に生まれてよかった」と。確かにそうなんですけど、じゃあ何でそうなのかというと、「資本主義だから」とか、「民主主義の選挙で指導者を選ぶ国だから」と思っているとしたら、それはちょっと違う、ということなのです。
ここで、台頭当初のH氏政権の話を思い出していただきたいのですが。
注目すべきは、当初、H氏のことを、誰も独裁者だなんて思っていなかったということです。それともう一つ注目すべきは、彼という個人が、多くの人から崇拝されていたということです。
独裁者になるタイプには、いくつかの顕著な特徴があります。その一つが、圧倒的な魅力があるということです。ここでいう「魅力」というのは、単に慕われるとか、尊敬される、とか、そんなレベルではありません。その人物の言動、主義主張や実績も、ほぼ無関係に、強く引きつけられてしまう、というものです。
仮にその人物の実績を理由にする人がいたとしても、その実績自体が、異様に過大評価されたものだったりします。無意識のうちに、まず魅了されて、評価は後付けな感じです。つまり無条件に魅了されているのです。
もちろん、そんな人物でも、何ら魅力を感じない人たちはいます。その人たちにとっては、どこがいいのかさっぱり分からないのです。でも、魅了される人たちが一定数を超えると、危険水域に入ります。
この、魅力の正体については、他の特徴もまじえ、次回以降の記事で考察していこうと思いますが・・。
ちょっと安心材料として、少なくとも現状、私たちの日本に、H氏のような独裁者になりそうな人物はいないというのがあります。様々な政治家がいて、それぞれ支持層もありますけど、少なくとも、政治的な主義主張や実績を超えて、その人物自体が、国民の大半に個人崇拝されるような、圧倒的な魅力がある人物はいないようです。
そういう人物が存在する国は、日本ではなくて、‘あの国’です。次回以降の記事ではその辺も含めて、独裁者の特徴を見ていきたいと思います。
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