春分の日のあとに ──待ち受ける地球の大転換を想う──

ascension

2023年03月29日 17:06




     



 
目下急がれる、この数年の山場への対策。地球マカバ瞑想は、他のマカバ瞑想と何が違うのか。地球は右回転に転じるのか。的確な指導と、実践は、ネガティブの手放しとして不可欠である話







高貴なるライトワーカー、光の戦士がた、いかがお過ごしでしょうか。



前回記事で触れた、「神聖復活の印」のWebを介してのオンライン伝授ができるようになったようです。興味のある方は検索してみられてはと思います。

この印は、実践するために会員になる必要もないわけですが、伝授は必要なので、近くに伝授してくれる人がいないとか、会の人と直接会うのが抵抗ある人の為にも、オンラインで伝授が受けられるようになったのはいいことじゃないかなと。

もし不明な点があったら電話で問い合わせしてみてもいいでしょう。あの、例の宗教団体みたいな恐ろしい勧誘などされませんから、大丈夫ですよ。




なお、繰り返しになりますが、当ブログで推奨している「三大ツール」を変更する予定はありません。当ブログの推奨は「地球マカバ瞑想」ですが、ビジュアルがどうしても苦手な方のために、匹敵するツールとして「神聖復活の印」をご紹介しているものです。もちろん両方やっても構いません。


「世界平和の祈り」「ガヤトリーマントラ」だけでも十分に素晴らしいのですが、それを励行している方であっても、というか、そういう方であればなおのこと、「地球マカバ」イメージングの実践をしていただければ、その秘めたる威力を存分に発揮させてくださるものと思っております。





そんな次第で、ちょっと今日も「地球マカバ瞑想」の話からしたいと思います。もう本当に、これからどんな局面が待ち受けているか、それを回避することがどれだけ大事かが、今の主眼ですので、折に触れて話したいと思っています。
感謝の祈りも大事だと申しましたが、これは大事さをお分りいただくのに、それほど説明を要しないと思いますので。




他の三大ツール同様、「地球マカバ瞑想」についても、できるだけ発信していただきたい話をしましたね。


もちろん、あなたご自身の実践が大事なので、こちらの方は可能な範囲でいいのですが、これからのことを考えると、できることなら少しでも広めてほしいと思っています。




画像や動画については、当方の「関連サイト」やYouTubeへのリンクでお願いしたいとも申しました。地球の画像など素材を使用している以上、こればかりは私がコピペ発信を許可する立場にありません。(画像の方については、発信せずにご自分だけで見る分には問題ないようです。)




もしも、発信はしたいけどリンクを貼りたくない、という方がいるなら、と考え、ご自分で作成してみてはいかがか、という話もいたしましたね。

地球マカバイメージングは、あくまでイメージングが主体で、画像などはイメージングの補助です。「マカバ」と「地球」の画像は、素材として入手できますし。画像処理ソフトの機能の中でもごく一部の、基礎的なものが分かっていれば作れます。


素材の提供元はいくつかあります。どこかのサイトで使われてる画像は、大抵著作権者がいるので、そのままコピペしないで、しかるべき素材サイトで入手しましょう。無料のものと有料のものがあります。有料のサイトでも、最初の何点までは無料、という無料枠があることが多いので、この二つ程度なら無料で入手できるんじゃないかと思います。

提供元サイトによって著作権の範囲が違うので、その点もチェックしましょう。

当然ながら、地球の画像よりもマカバの画像の方が圧倒的に少ないです。

検索ワードは、「マカバ」で見つからなければ、「merkaba」か「merkabah」です。




ということで、老婆心ながら、ちょっと説明させていただきましたが、

でも、それより何より、当ブログをお読みのあなた自身が、地球マカバイメージングをぜひやっていただきたいと思います。
一日一回でも、画像や動画を見るだけでも構いません。今は効果が分からないという方も、続けているうちに、その素晴らしさを実感できるようになってくるでしょう。そして、その威力を発揮させている、ご自分自身の成熟も、とてもエキサイティングに思えることでしょう。







地球マカバ瞑想は、一般のマカバ瞑想と何が違うのか






前回、マカバに出会ったときの波動の素晴らしさの話をしましたが、地球マカバをイメージした時には、それを凌駕する、頭を殴られたような衝撃的な波動の降臨がありました。私はそれをできる限り多くの人に共有したいと思ったわけなのですが・・・。




私は今でも時折、マカバの画像や動画を検索してみることがありますが、数は少ないものの、以前よりも見かけることが増えました。



しかしその大半は、マカバ単体か、マカバの中に人がいるものです。確かにイメージングの助けにはなるのですが、地球マカバほどにはパワフルでないのはなぜだろう、と考えるうち、気づきました。




マカバの中に人がいる、というその「人」は、「あなた」がイメージする以上、「あなた」でなければいけません。しかし画像も動画も、当然ながら「あなた自身」を描いてはいませんよね。

「自分がマカバの中にいる」というイメージを描く場合、私は自分自身がマカバに入っている状態をイメージします。
自分がマカバの中にいるイメージを、自分の外側の空間に描くこともないし、ましてや誰か知らない人やフィギュアが、マカバの中にいるイメージを描くことはないです。

ということは、マカバの中にいる状態の自分の視点から見たイメージをする必要があります。ここがポイントかと気づきました。

人がマカバの中に入っている画像は、外側から見たイメージですから、それを参考にするとしても、あらためて内側から見たイメージをすることになり、ちょっと難しいですね。





しかし地球マカバの場合は、マカバの中にある地球を、眼前とか上方の空間とかにイメージします。(自分と地球とマカバ、すべて重ねてもいいのですが、それだと地球の壮大さがイメージしにくいですし。)
私は地球上にいると同時に、地球を外側から見つめてもいて、地球をマカバという強力な結界で守っているというイメージです。
それをイメージしたとき、それはまさにそうであるのです。自分一人をマカバで守るイメージよりも描きやすく、それでいて遥かに壮大です。





つまり地球マカバ瞑想の場合、「観るだけでも」と私が申しますのは、そういうことです。観るとは、脳がその画像を像として脳内に結ぶということであり、イメージングに近い威力と、波動の降臨がもたらされるわけなのです。画像や動画がそのままそうなのですから、観るだけで描いていることになりますよね。

人がマカバの中にいる画像では、上述のように、観た画像を参考に、自分の身に置き換えてイメージしなおさないといけません。イメージの壮大さだけでなく、その点も違うところですね。







動画の入手なら回転方向は右回転。しかしそれより何より「そろばんの道」を最優先






あと、マカバの動画では、マカバが回転しているものを見かけるようになりました。動画といっても、YouTubeではなく、素材サイトで販売されているものです。
その場合、どうしたわけか、大抵、正四面体の一方が右回転で、もう一方が左回転と、互いに逆向きに回転しているのです。

右回転が上昇で、左回転が散漫ですので、要は非線形と線形のせめぎ合いのようになってしまいます。右回転の上昇を左回転が打ち消してしまう、何だかモヤモヤした動画です。回転しているマカバ動画のほとんどがそれです。何かの流行なのかなあ・・。

もしも回転しているマカバ動画を拾いたい場合は、右回転しているものをお勧めします。




ただ、私自身は、そもそも基本のマカバも鮮明にイメージできないうちに、マカバを動かすイメージをするより、静止しててもいいのでマカバを頭に叩き込んだ方がいいと思っていますが・・。


最終的に、画像や動画の助けなく、イメージングが可能になれば、あなた自身がその素晴らしい波動と、いつなんどきでも同期できるあなたになるのです。





前回、電卓とそろばんの話をいたしましたが、五井先生の指導や当ブログは「そろばんの道」を行く指導なのです。これは一見、テクノロジーから遠いようでいながら、実は「電卓の道」よりも、ずっと理にかなっていて、テクノロジカルだと私は思います。



私たち人間は、地球上でもっともすぐれたデバイスです。人工的に作られたあらゆるデバイスも、人間には叶いません。
なぜなら人間は人間が造ったのではないからです。神が造ったこのデバイスは、それ自体が神の一部であり、神の発露です。マントラや祈り、そしてイメージングは、本来が神である人間の真価の現れであり、それによって自らを進化させていけます。その進化は、優れたAIの学習よりもずっと奥深いのです。それはそれ自体が、まさに神のテクノロジー以外の何物でもないということの証左だと思います。




どうです? 「そろばんの道」の方が、ずっといいと思いませんか?







地球の自転方向も文字通りの大転換となるのか






回転といえば、回転している地球の動画も見つけました。


それが、どうしたわけか右回転しているのです。地球って上(北極側)から見たら反時計回り、つまり左回転ですよね・・。

これを見つけた時、思わず「おおっ」と声が出ました。「何これって頑張ってる私へのご褒美?」と思っちゃいましたね・・。


同じ人が作った他の地球は普通に左回転しているので、単純に間違えたのか、何かこだわりがあって両方作ってみたのか・・・? 「いや~間違えちゃった~」って、アップを取り下げてくれなくて本当によかった・・・。右回転の地球と左回転の地球を見比べられるんですからね。

で、やはり右回転の地球が心地よくて、見つめているといい波動が来るのです。一方、左回転の方は、見つめていると辛くなります。だらだらと低い波動に引き下げられる感じです。



先日の記事で、アセンションに伴う波動の大転換の際に、地球の自転が今の左回転から右回転に反転するという話について書きました。その情報はたまたまあるサイトで見かけたきりでしたが・・・

「これはもう、そう考えていいのではないか・・?」
と思ってしまいましたね。いや、まだ断定はできませんが・・。

以前ご紹介した渡辺大起氏の著書では、地軸の傾きが大きく変わると言っていますが、地球の回転方向も反転するのであろうか・・・。 もしそうなら、文字通りの大転換ですね。


ただ、「北極が上」基準の動画ですから、再考の余地はありそうですが。動画として観る分には右回転が心地よいですね。

有料動画ですし、リンクは貼りませんが、皆さんももし興味あったら探してみるのもいいと思います。(もちろん私は買っちゃいました)







春分のエネルギーはますますもって素晴らしく、道はますます分岐しているよう






さて、マカバや地球の話に思いのほか行を割いてしまいましたが、

皆様、本年最初のエポックポイント、春分はいかがでしたか?


今回も、言葉を弄する気が起きないほど、すばらしいものでございました。
同時瞑想に参加した方も、しない方も、春分のエネルギーは分け隔てなく降り注ぎ、どれだけ享受できたかは、ひとえにお一人お一人の器と波動状態にかかっております。



私はと申しますと、この日は、従前どおりの祈りに専心いたしました。すなわち、
「光の戦士・ワンダラーの加護」
「資質を持ちながら、いまだ目覚めない光の人に、目覚めの光を送る」
「同時瞑想参加者の方々の、フェーズ上げのサポート」
です。


以前は、これに加えて、スピリチュアル陰謀論など、線形波動の迷宮の中に引き込まれてしまった人達を、非線形への道に引き戻す祈りもしていたのでしたね。
しかし彼らの心はあまりにも線形に埋没し、閉ざされていて、とても引き戻すことは無理であると悟った、というお話をいたしました。




で、今回、「目覚めていない光の人に、目覚めの光を送る」という祈りに関してなんですが、

これまでは、それなりに手応えを感じていたのですが、今回は物凄い抵抗波動と憑依が来てしまいました。
「これはもう無理か・・・」と思いました。もう、目覚めていない戦士を目覚めさせる時機は終わってしまったのか・・・と。もしそうであるなら、もうこの祈りは今回までにした方がいいのか・・・・。アセンションの道は分岐が進み、もう、いくらもチャンスは残されていないのかもしれません・・。



しかし懸命に処理をしておりましたところ、翌日になって曙光が見えました。それで、「まだもう少しだけ続けてみよう」と思い直しました。「もう少し、あと少し・・・」一人でも多く、この道へと目覚めさせたいという思いが、まだ思いきれないのです。
今回の凄まじい反発と憑依から見て、こちらの身の安全も考えて、どこかで見切りをつけないといけないのですが・・。まあ、折角この惑星までやってきたんですから、できるところまでは頑張ろうかなあ・・と。




ちなみに、あとの二つの祈りは、今回もうまく行ったと思います。参加者の方は、数は少ないですが着々とフェーズ上げの道を歩んでいるのが観ぜられました。これだから同時瞑想はやめられないですね。
何だか本当に、イギリスの超一流大学のそのまた一部のエリートみたいになってきましたね。「一人でも多く」という主旨からすると、喜んでいいことでもないですが・・。




そういえば以前、「祈りの会」には初歩的な人もいると申しましたが、ここで初歩的というのは、非線形波動への道において初歩という意味です。つまり、今もって多くのスピリチュアルが、宗教であれ、そうでないものであれ──線形波動に属しています。



他には高度な人がいないというのではありません。高度であるからといって指導的な発信をするとは限らないのです。極めて未熟なフェーズでありながら指導的な発信をしている人が大勢いる一方で、何も発信をしない高度な人もいます。五井先生のように兼ね備えているというのは、相当にレアなことではあるのです。







高度な指導を見極めること、理解し、実践すること






当ブログは「祈りの会」よりも、ちょっと高度なレクチャーもしていて、若干、中・上級者寄りかなと思います。予定としては、皆様のご様子を見つつ、さらなる段階に進めていきたいと思ってもいます。でも、初歩的な人には向かないというわけでもありません。初歩的な段階の人も、上級者も、「三大ツール」の実践の重要さは変わりません。



比較ついでに言うと、どちらが向いてるかも、人によると思います。「祈りの会」では地道な課題が用意されていたりして、そういうのを段階を踏んでやるほうが、自分の進捗が見えていい、という人もいれば、自分のペースでやりたいし、煩わしいと思う人もいます。
ざっくり言えば、集団的なものを好むタイプの人と、ツールさえ提供してくれれば、自分で時間ややり方を決めてやる、といった、マイペースが好きな人がいるということですかね。



私自身は、いたってマイペースな人間なのですが、「祈りの会」は課題があると言っても、やるやらないも自由だし、そもそも入退会も自由だし、一般にイメージされている宗教団体とはかなり違うんですね。だから私も属していられるんだと思います。



いずれにしても、会員さんでも、当ブログのフォロワーさんでも、その両方でも、ついて来て下さってる方というのは、理解して、実践している方というのは、もうフェーズが違うんだと思います。







的確な指導とたゆみない実践






ただ、エリートと書きましたが、高度なスピリチュアルにおいてのエリートというのは、ご自身がエリート意識を持ってはいません。



エリート意識、選民意識と言い換えてもいいですが、スピリチュアル界でこれを持っている人は少なくありません。しかしそれは当然ながらネガティブに属しますので、手放していかないといけません。つまり、「エリート」と、「エリート意識」は、似て非なるものというか、むしろ真逆のものです。真のエリートは、エリート意識は皆無、ということですね。






昨年のはじめ、祈りの会の同志でありながら、「終末論」に近い思考や、選民意識を持っていたりする人に驚いた話をしましたけど、会の指導は適切でも、会員さんはそれぞれだな、と、本当に痛感する出来事でした。




私が祈りの会の同志と集うのは、コロナ以降は地元の寄り合いだけになってしまいましたが・・今月の寄り合いも、人数は私を含め五人だけでした。


主催してくれてる人が、少しでも参加者を増やそうと頑張ってるかどうかは分かりません・・もしかしたら、去る者は追わずって考えかもですね。せめて何か月かに一度の案内葉書は毎月出したらどうだろう・・とか・・・(そういえばこの間来てたから、毎月に変えたのかな)・・葉書に、たとえ少人数でも、今集まって祈ることが本当に大事なので、ぜひご参加をとかなんとかメッセージを書いたらどうだろう・・とか、思ったりするんですが・・

しかし私が何を提案しても、聞いてくれるような人ではないので、何も言わない方がいいでしょうね。




この方は、以前、内省のテーマで書いた「シャーデンフロイデ」の人で、不穏な予知夢を見て落ち込む様子を見せていた人です。
シャーデンフロイデというのは、人を見下したい思いのことですから、例の「七つの大罪」のカテゴリーになぞらえるなら、「プライド」ですかね。
でも、もうあれから大分経つし、随分手放しているかと思いきや・・そうでもないようです。この方が掴んでいる最後のネガティブなのかもしれません。




なぜ「そうでもないようだ」と思うかというと、何かちょっとした折に、こちらにそのカルマ想念が来るからです。ひとたび来るとなると、もの凄いものを寄越されます。敵意に満ちていると言いますか・・・なんかちょっとしたきっかけなんですよね。こちらが言ったことが、自分の考えと合わないとか、生意気だ、面白くないとか、そういうことなんだろうと思います。


私は祈りの同志の清算を代わりにやってあげる気も余裕もないし、ご本人だって頼りたくないでしょう。でも手放せずにいると、本人の意思に関わらず、否応なく寄越しをしてしまう。ご本人自身が手放して、出てきたネガティブを神の泉の中に投げ入れてしまわない限り、どうにもならない。



それでも、この方は、熱心な会員さんのせいか、波動は確実に上がってるんですね。どれだけネガティブを掴んでいても、実践していれば上がるのですから、続けることの大切さを思います。(でも本当に、早くネガティブを清算して欲しいですけど。)



ただ、実践といっても、的外れなことをやってても成果は出ないので、祈りの会の指導の的確さやツールの威力をあらためて思ったりもします。

前の記事で、五井先生が肉体を離れて、現会長が引き継いだ時機に、退会した人が結構いるらしい話をしましたが、恐らくその人達は、ここまで波動は上がっていないと思います。



そもそも、五井先生の時代が終わったわけじゃないんですよ・・肉体を離れたってだけで、今も会の指導をしておられるのです。

五井先生の指導を、もっとも厳しいポジションで受けているのが現会長なんですね。ご自身も自立した指導者として指導もしつつ、何も考えずに厳しい指令にも従うって、並大抵のことではありません。従うくらいできるさ、という方もいるかもですが、高位神霊はその人が耐えられるところまでにするので内容は人によって違います。彼女の場合かなり過酷のようです。


だから退会してしまった人はもちろんだし、会員だとしても、たゆみなく実践している人と、そうでない人とでは違います。まるで違いますね。







すでに違いが鮮明に・・






今月の寄り合いでは、この人のほかに、もう一人から、膨大な寄越しがあって、今もってまだ処理しきれていません。ダブルで来るとキツイですね。



その、寄り合いのもう一人の人というのは、前々回の記事に書いた、私が、「もう来ないのかな・・」と思った人です。スピリチュアルに熱心じゃないというより、何か色々な勉強されてるようで、「祈りの会」が全てじゃないみたいな。
それでも参加してくれるに越したことはありません。


で、寄り合いが終わろうという頃に席を立って、今日は無理だけど今度話しましょう、みたいなことを言っていかれました。

正確な言葉は忘れましたけど、その時のニュアンスが、「ごめん今日は時間なくてまた今度ね」的な口ぶりだったので、「??」と思ってしまいました。私はこの方とは寄り合いでしか会わないし、ゆっくり話をしたのはもう十年くらい前とか、いやもっと前じゃなかったかと思うんですが・・。





その時の会話の内容はほとんど覚えてないですけど、たまたまバッタリ会って、私も話好きな方なので、ファミレスでおしゃべりしたんです。
そうしたら会話の途中で彼が、不意に機嫌が悪くなって、以降、口を利いてくれなくなりました。何か私が言ったことが気に障ったのでしょうが、正直、何か分かりません。その直前まで大喧嘩してたわけでもなく・・。元々が大人しい感じの人なので、余計に分からなかったですね。


ともかく私の発言が機嫌を損ねたようなので、謝ったのですが、許せなかったらしく、随分長いこと冷淡だったのです。
私の方で、そこまで気分を害することを言った認識がないということは、よほど相性が悪いんだろうと思いました。




この間ネットを見てたら、「察してちゃん」というカテゴリーの話が出てきて、「あ、これか・・」と思いました。「キミは何がいけないか、分からないのかね? 分からないなら分かるまで自分で考えなさい」的な・・。だから何も言わずに無視するって流れ・・ああ、これかあ・・

そのネット情報読んで、何が気に障ったのか「知る必要もない」が正解なんだな、と思いました。こういうタイプの人は、何が気に障るかが、あくまで「その人基準」なので、いちいち気にしても仕方ないようです。





ともあれ、そんなかつての経緯を、「また話しましょう」と言われて思い出しました。
あの当時、向こうも私の何かが不快だったかもだけど、私も無視は不快だったし、もう特に話したいこともないのですが、何だったのかな・・? と思いつつ帰宅。・・・しばらくしたら物凄いカルマが来てるのに気づきました。それがその人からだとも。


その波動域が、上述の、熱心な会員さん(主催者さんと呼ぶことにします)の彼とは全く違うのです。
とてもプライドが高くて、ちょっとしたきっかけで凄いカルマ寄越しをしてくる主催者さん。でもご本人の波動状態は、長年祈ってきた人特有のものがあります。
一方の人は、そんな悪意もないし、言動も物柔らかな人です。でも寄越しは、比べられないほどのネガティブ想念と憑依で、物質思考の一般の人に近いものがありました。というか、あります。今もって処理しきれていません。



前も別の人で、似たようなことがあり、確かそれも記事に書きましたけど・・・長年たゆみなく続けている会員さんと、会員ではあってもそれほど熱心じゃない人とは、実際にその波動に触れると、歴然とした差が出てきていますね。



それでいて、スピリチュアルじゃないわけじゃないのですよ。他の何かスピリチュアルなことには興味があったり、熱心だったりする。なので別に怠けているわけではないんでしょうけど・・・。
でもそれは、ここで「実践」と呼んでいる、アセンションに叶う実践という意味でのそれとは違うので、「階段の踊り場で休んでいる状態」になってしまうのではないか・・・と考えられます。




その点は、ここの読者の方も同様ではないかと思います。情報の一環としてたまに覗いているという人と、たゆみなく実践している人は、すでにその違いが鮮明になってきているのでは・・と、思います。







良いも悪いもカルマはカルマ・・






面白いと思うのは(といっても楽しい方の面白いじゃないですけど)、主催者の方の人ともう一人の人、どちらがより好意的か、あるいは攻撃的かなど、悪意の有無と、波動レベルとは、特に相関がないということです。
つまりこの、カルマというのは、実のところ、良い悪いとはあまり関係がないのです。この件については、また後日あらためて考察しようと思っています。




そんな次第で、同じ日、二人の人物から、膨大なカルマ寄越しをされて、それを比較する状態になりました。そしてその差は、単純に、どれほど実践をしているか、どれほど波動を上げているかということだけだろうと思いました。



波動の法則とは、かくもシンプルなものか・・そして、的確で高度な指導を知り、たゆみなく実践することの大事さを、あらためて思います。







今回は「地球マカバ瞑想」の重要さと、「人がマカバの中にある」イメージとの違いについて述べました。マカバはあえて回転させる必要はなく、もし回転する動画を拾うなら右回転を推奨。そしてまた、地球の回転方向についても述べました。


そしてまた、ツールの実践の大切さ、ただ実践といっても、どの指導のどんな実践を選ぶかが、全く違う結果を導くこともお話ししました。

アセンションにおいて、ネガティブを手放すことは必須ですが、高度なセオリーとメソッドに基づく実践は、シンプルであると同時に、手放しのインフラとしても不可欠ものと言えるでしょう。



次回の更新の頃には、感謝の祈りを追加するつもりでおります。また、「地球マカバ瞑想」の動画の、前半部分を少し短くしたバージョンを、アップしようかと思っています。もっとも元が短いわけなので、そう変わりませんが。それではまた次回の記事でお会いしましょう。










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