

線形波動の力は手放しがたいが、それを手放した時の悦びは、この世のものではない
光の皆様、いかがお過ごしですか?
この記事は、前回・前々回記事からの続きですので、読んでない方はそちらからお読みください。
前々回と前回の記事は、私自身書いたことで波動がいくらか安定いたしました。処理に次ぐ処理、という状況には変わりないのですが・・。少し本来の自分の波動が戻ってきたように観じました。
「同じスピリチュアルでも、違うな感を抱く人がいると思っていたが、そういうことであったか」と、腑に落ちた方がおられるようです。当ブログの読者の方は、さすがスターシードが多いだけあり、一人でも納得していただけると、こちらも楽になります。
ですが、その一方で、疑問を抱いた方もおられたようです。──つまりそういう反応を、私は波動的に観じるのですが──
じつは前々回記事のあと、引き続きワンダラーの使命についての記事を書く予定でいたのですが、少々解説を加える必要を感じ、前回の記事を書いたのです。
でもまだ少し補足の必要を感じております。線形・非線形に関して、一部から来ている抵抗的な想念が多少でも解消されるように、補足しておきたいと思います。
今回の記事のように、当ブログでは、折りに触れ、スピリチュアルについて論評することがあります。
スピリチュアルかどうか、だけでなく、そのスピリチュアルとはどんなスピリチュアルなのか、という、スピリチュアルの段階や質にまで踏み込んで論評します。
しかしそこには、必要もなく批判したり下げたりするような意図はありません。
私がスピリチュアルのタイプを分析しようとする理由はただ一つです。
アセンションに関わるから。すなわちワンダラーとしてのミッションに関わるから。それだけです。
ということを踏まえまして、線形と非線形はどのように違うのか、非線形への転換がどれほど重要なものかについて、もう少し説明しておきたいと思います。

現在の状況
その前に、一応お知らせしておきますと、
このところ、波動が激しいせめぎ合いにある局面だと言っておりますけれども、
基本的に、地球のアセンションは決定しております。ここは押さえていただき、恐れたり不安を抱いたりはなさらないでいただければと思います。
もしも地球のアセンションが成されなかったらどうなったかと申しますと、地球もまたルシファー同様、粉々に破壊されてしまうことになっていたようですが、そこは回避しているのです。
また後日書こうと思っていましたが、先日の春分の波動の降臨も、すばらしいものでございました。着々とアセンションに向かっているのです。
ただ、地球のアセンションと、個々人のアセンションは、本質的には別物です。
が、個々人のアセンションがなされませんと、地球全体としても過酷なことになります。本質的には別物だが、無関係なわけではない、ということです。
ですから、個々人のアセンションは、ご本人自身にとってはもちろんですし、地球のアセンションにとっても大事ということです。
アセンションのタイムラインは、単にアセンションする・しないという二つの道だけがあるのではありません。
グラデーションのようになっていまして、するにしても、スムーズで苦痛少ない道もあれば、過酷な道もあります。これは地球規模でもあるし、個人規模でも同様です。
その、「過酷になる」という、もっとも極端で最悪のシナリオが、上記の、地球が粉々に砕け散ってしまうというものだったわけです。
光の人々の働きで、そこを何とか回避したのですが、抵抗波動がすさまじく、せめぎ合いが続いているわけです。
今後予測される’地球の未来’については、また追い追い書いていくつもりですが、そういう状況ということは踏まえておいていただければと思います。決して悲観的な状況ではない。が、まだまだ過酷さの残る状況にあるということです。

チャンスは平等にある
さて、線形から非線形波動への転換は、アセンションのクライマックスであり、キモ中のキモと言っていいものです。言葉や説明の仕方は違っても、セオリーを踏まえたスピリチュアルなら、この点をスルーするなどあり得ないでしょう。
押さえておいていただきたい点は、スターシード諸氏はもちろん、生え抜きの地球人であっても──もちろん元ルシファー人であってもなくても──、魂の来歴はどうであれ、
この地球という惑星に来ている人は、アセンションのチャンスを掴むために来たのであり、
そのチャンスは誰にも同じように目の前にあるということです。
あなたが非線形ならもちろんのこと、現時点で線形であったとしても、
その未来は、あなた自身がその気になりさえすれば、輝かしいものとなるということです。
私が今観じている抵抗の想念波動は、
本質的に、「恐れ」から来ていると、私は思っています。
私はその恐れの正体が、分かる気がします。
それは、「力を失うことへの恐れ」だと思われます。
もっと言えば、「力を手放したらどうなるのか、先が見えないことへの恐れ」です。

線形にとって最大の恐怖、そして線形における最後の恐怖
ことに今回は、スピリチュアルでない人だけでなく、スピリチュアル的な人も含めてのことであると申しました。
これは重要な点です。
波動のせめぎ合いを引き起こしている勢力は、一つは物質文明に固執する人達ですが、もう一つは、スピリチュアルな人々の中にいるからです。しかもその数は、決して少なくはありません。
その中には、高い波動域にある人もいるということも、前回申しましたが、見逃せない点なのです。
当ブログはこれまで、何人かの優れた霊性指導者を挙げてまいりました。──つまり換言すれば、トータルしても僅か数人です。
ご承知のように、当ブログは、目的が達せられるのであれば、当ブログの指導でなければならないことはない、という方針です。なのでこれぞという方は紹介することにしています。
にも関わらず、始めて九年にもなろうというのに、これほど少ないのは、もちろん私が寡聞にして知らないせいではあるのですが、これぞと思う高度な指導者が、いかに少ないかということでもあるのです。
高度なスピリチュアリスト自体少ないですが、人をアセンションへと導ける指導者となると、さらに僅かです。
私が考える「推せる指導者」の最低限の条件は、「そのスピリチュアル指導が、コア的に間違っていないこと」、そして「カルマ寄越しをされることはあっても、する側ではないこと」です。このたった二つの条件だけでも満たす人は少ないので、慎重にしないといけません。
高い波動を有しながら線形な人とは、あと少しで非線形に転換するという寸前のところで手をこまねき、その壁を超えられない人だと思われます。
非線形への転換を成し遂げる手放しは、カルマの手放しの中でも、最大のもの、「力」の手放しです。
線形の力は、それほど手放しがたいのです。
ところで、線形波動の力とは、何でしょう。かりそめの力でしかない、と前回申しました。
では、非線形の力とは、どんなものなのでしょう。線形とどこが違うのでしょうか。

線形の力とは
まず、線形の力がどんなものか考えてみましょう。
物質世界的には肉体の力もその一つでしょう。その他、権力であったり、財力であったり、発言力であったり。人気スターやインフルエンサーの、人を惹きつける魅力もそうでしょう。
宗教家やスピリチュアリストにも、線形波動の人は少なからず存在します。前述したように、スピリチュアリストなら非線形というものでもありません。大勢の信者を抱えていたり、多くの人に信奉されていたりする人にも、線形の方は多くいます。
このように、力と一口に言っても表現は様々ですが、どの分野の、どのような力であっても、元になっている力は、実は一つです。
ところで、こうした力は、非線形の人にも見ることができます。サイババ尊師や五井先生も、沢山の人々を惹きつけていました。
目下のところ、政治家などの権力者には、いそうもないですが、それは線形波動の世界だからで、非線形の世界になれば、そうした分野にも進出してくるでしょう。
大金持ちだからといって、線形とも限りません。経済力と、線形か非線形かは無関係です。肉体を駆使するアスリートですら、その力が必ずしも線形とは限りません。
つまり物質世界上の、表面的なことで、線形か非線形かの判別はできません。
ただし、表面的には分からなくても、事実ははっきりしています。
物質思考の目で見て分からないからといって、事実がはっきりしていない、なんてことはありません。
それがどんな分野の、どのような種類の力であっても、線形波動の力には、共通点があります。

それはまるで、川面に浮かぶ木の葉のよう
地球人類の歴史──それは栄枯盛衰の歴史でもありますね。
川面に浮かぶ木の葉のような、その移ろいやすさを見ていると、線形波動の力と似ているように思います。
線形波動の力の共通点とは何か。
それはゼロサムであるということ。そして未来永劫の安定的なものではなく、移ろいやすいということです。
つまり有限であり、全員が勝者となることはできず、その勝者も永久に勝者ではないということです。
ある者が力を持つとき、別のある者の力は衰えます。肉体をいくら鍛えても、その力は永久には続かず、衰えた頃に、別の者が現れます。権力も、財力も、大スターの人気も、何であってもそうです。
権力者が、その強大な力を、互いの力のせめぎ合い、パワーゲームにしてしまっているのも、かりそめの力だからでしょう。もしもそれが自分から決して離れないものなら、そのようにせめぎ合う必要がありません。
文明の発達は、人に幸福をもたらさない、と言う人は多いです。
しかし私の見解はちょっと違います。またいずれ別に記事を設けるつもりですが──、
地球人類が今もって幸福になれないのは、線形だから。有限で、かりそめで、ゼロサムだからと考えています。
では非線形になると、力は本物になるのでしょうか。非線形の力とは、何でしょう?
じつのところ、非線形波動の人に、力などありません。
力があるのではないのです。非線形波動とは、力の「場」となることだからです。

’私に力はなく、場だけがある’という「私」。ただし’私以外の何者でもない’という私
非線形波動の人にとって、力とは、自分自身にあるわけではありません。
個が全体と同じくらいに尊重されると申しましたが、その「個」とは、「場」なのです。
それも、それぞれがユニークで、個性を持った「場」です。力があるとしたら、あるのは創造力でしょう。
創造力は本質的には想像力です。物質世界では想像が即座に創造になることはありませんが、上位次元では、想像することができれば、それを実際に成しうる力は、宇宙がもたらすからです。それを踏まえた上での創造力です。
非線形波動の世界では、個は宇宙と共にあります。宇宙の力は無限ですので、自分という場の個性、想像に応じて、それがもたらされます。つまりそれによって、自分なりの、ユニークな創造がなされます。
非線形の人にとって、力とは、宇宙にあります。
力は、必要なごとに必要に応じてもたらされ、不足もなく、過剰でもありません。
ですから、非線形波動の人には、その人自身に力などないし、必要もないのです。
必要なのは、ただ、宇宙という愛と、波動的な意味で一体であること──共にあり、離れないことです。
それは、「そういう状態である」という点で、普遍的であり、安定しています。
変化は、その人が望むなら、常にしますが、変化するということにおいて、安定的です。
誰かに奪われたり、誰かから奪ったりもしません。必要がないので。
それは無制限で、無条件です。
唯一制限があるとすれば、その人自身の「場の個性」です。どんなユニークさで、どれだけバラエティに富んだ創造ができるか、つまりどのような想像力を持っているかです。
ただし、個性とは、この場合、キャラが立ってるとか極端とかいうことではありません。より精妙で深淵なものです。
つまり、「場」であるとは、宇宙の力、愛の供給を、その人を通して、どのように表現できるかという意味で、ある種のフィルターなのです。
これについては、いつかまた機会がありましたら解説します。
非線形波動の世界では、自分という個性以外に、自分を制限するものはなく、他者に依存したり、依存されたり、制限を受けたりもしないのです。
だから力を自分の身に掴んでいる必要はありません。
というより、掴んでいると、制限という世界に自らを閉じ込めてしまいます。
だから、力を自分のものとせず、手放さない限り、非線形の力を享受することはできないのです。
しかし、非線形を経験したことのない人にとって、それは随分と高いハードルのようです。
セオリーとしては分かっているスピリチュアリストでさえ、実際に手放すことは困難を伴います。
しかし、こればかりは──波動の昇格、ましてや非線形への昇華は、自分以外の誰にもできません。
私自身、サイババ尊師という降臨の神に出会い、膨大なカルマを浄化していただきましたが、
それであってさえ、波動の昇格がされることはありませんでした。
それはどうしても、何があっても、自分自身でしなければならないことなのです。

生え抜きの地球人には「未知の領域」
ところで、非線形への転換は、なぜそれほど困難なのでしょう。
地球人類は、テクノロジーをはじめ、さまざまな創造によって、目覚ましく発展させた文明を誇っています。
人類発祥から僅かな期間にこれだけの発展ができたのは、文明史の一つの謎でもあります。
しかしルシファーの物語が事実なら、
「すでに一度やったことがあるから」
ということになり、納得できます。
(渡辺氏によると、文明の発達にはオリオンも関わっているそうですが、解説するとそれだけで終わってしまうので、今回も割愛します。)
そんな彼らが、恐らくまだ経験したことがないのが、線形から非線形への転換です。
物質文明を発展させることよりも、それを手放すことの方が遥かに困難なのは、未知の領域だからでしょう。
前回も書きましたように、力を持つ人にとって、力を失うほど、恐怖を抱くことはありません。線形波動の域で培ってきた波動の高まりをも、失うような恐怖があるのかもしれません。
それは、「もし本当に手放したら、どうなってしまうのだろう」という怖さがあるからでしょう。つまり、魂の来歴上、非線形になったことが無い人にとっては、理屈では分かってる人であっても、崖から飛び降りる怖さがあるのではないかと思います。

スターシードにとって、非線形への転換自体に、それほど困難があるわけではない
一方で、スターシード系の方々ですが、恐れがないわけではないものの、恐れのタイプが違うようです。
線形から非線形への転換には、それほど強い恐れを抱かないのではないでしょうか。
元々が、非線形世界から来ているからです。
表層意識では忘れていても、本質的には、既知の領域ではあるでしょう。物や権力にさほどの執着を抱かないのは、資質的に非線形だからだと思われます。
とはいえ、ひっきりなしにふりかかる線形波動の洗礼に遭って、自らも線形に埋没している人も少なくありません。いくら魂の来歴的には経験してると言っても、肉体の身ですぐさま思い出せるものでもないわけですが・・。
それでも、生え抜きの地球人にとっての困難さとは、また違うのではないでしょうか。
つまりスターシードにとってのハードルは、地球環境が線形波動にまみれていることであって、波動転換そのものに対する怖さは、さほど無い人が多いのではないかと思われます。非線形への転換というより、非線形への’回帰’と呼んだ方がいいかもしれません。
「カルマ戻し」を私が推奨するのは、スターシードにおいては、線形波動の妨害さえなければ、比較的容易に非線形への転換をなしうる人が多いと思うからです。
私自身、かつて最も辛く困難だった時期、味わっていたのは、恐怖ではありましたが、思い巡らしてみても、手放しに困難があったというよりは、襲いかかる線形波動──カルマ、暗黒波動、憑依霊──からの脱却が課題でした。でした、なんて言ってますが、今もって常に処理し続けています。

学びは人さまざま
ところで、過去記事「魂の目的」で、集団スターシードの方々が地球に来る目的について、「創造力」が最も大きな学びであり、恐らくはここに来た目的であろうと思う、と書きましたね。
上述のように、非線形波動の世界では、宇宙の供給の光を、制限なく享受することができます。
それを享受して、実質的に創造するのは、個々の「場」である個人個人です。つまり創造するには、ただ制限が無いだけは無理で、創造力が必要です。
換言するなら、スターシードはスターシードで、線形波動世界での、学びがあります。
非線形に転換するのは、学びと呼ぶほどのこともないかもしれませんが、創造力を培うには、元いた惑星にはない、地球ならではの学びがあるでしょう。
この惑星での「学び」は、人さまざまです。
生え抜きの地球人が、はじめての「線形から非線形への転換」を学んでいるように、
スターシードはスターシードで、「地球ならではの創造」を学んでいます。
ワンダラーもワンダラーで、任務に関わるさまざまな学びがあります。また、ワンダラーもそれぞれですから、任務外の学びや創造もあるかもしれません。
何しろ、さまざまな波動域の人が、一同に会していますので、互いに刺激し合い、その化学反応が思いもよらない事態を生み、あらたな創造を得るのかもしれません。
時としてそれは過酷で、過酷を通り越して壮絶な状況に陥る危険もありますし、今もって埋没していて抜け出せない人もいるわけですが・・。
しかしながら、光の皆様、数々の学びは、もう終わりを告げる時が来たのです。

今の局面では、もっとも重要なのは非線形への転換
今の私たちにとっては、もっとも重要なのは、非線形への転換です。もうこの惑星では、それをやらないでは済まされないのです。
たとえスターシードでも、この波動環境で非線形波動に転換することは、困難を伴うと思われます。
見ていれば自然に終わるドラマと違い、私たち自身がドラマを創る側でもあり、創りつつ自ら体験している演者でもあるのです。
だからこそ、線形波動の人に、非線形の素晴らしさと歓喜を知ってほしいと思うのです。
そしてまた、かつて非線形の世界にいた人であっても、この惑星で新たな創造を学んだ人には、非線形波動への回帰は、格別な悦びをもたらすでしょう。