

偉大にして精妙なるタイムゲートの恩寵と、それを阻まんとする暗黒波動の猛攻──あなたに真の自由をもたらすものを、見極め、それを享受しよう
光の皆様、いかがお過ごしですか?
11月11日のタイムゲートはいかがでしたか?
同時瞑想こそしませんでしたが、私の方で波動的なサポートを何もしないというわけではないので──というか、そのつもりは無くても受けてしまうものはあるので──波動を上げることに熱心に取り組む読者の皆様には、ある程度支えになったのではないかと思っております。
この機会に降りてくるものは、偉大であると同時に私たちの内面を変える精妙な波動だと申しましたが、変化を感じられた方は勿論、今時点でピンと来ていない人も、いつか変化に気づくこともあるかもしれません。
実際、人が偉大な光を享受した時、それを即座に実感する人は、むしろ少数派で、大抵は、その時はピンと来なくて、後からじわじわとその効果を実感したりするものです。
いずれにしても、あなた自身がその波動とどれだけシンクロできたかによるわけですが、三大ツールを続けていれば、やがて大きな変化を感じる時が来るものと思います。
私は今回、夢を見ました。鏡の前に立って自分を見ると、可憐な乙女の姿なのです(それも、肉体上の自分とは、若い若くない以前に顔立ちからして違うのです)。そういえば2016年だったか、とにかく何年か前は、水から勢いよく飛び出してきたブロンドの青年のビジョンを見ました。
「へえー乙女と青年ねえ・・」なんて他人事みたいに思ってる方、他人事じゃないですよ。旧ブログの方で、「あなたが肉体的な外見はサエなくても、実は可憐な妖精かもしれない」といったことを書いた憶えがありますけど、誰しも肉体上の外見など仮の姿にすぎず、自分の中に、いつくかのパーソナリティが眠っているのです。もっとも、そんな種々のパーソナリティですらも本質ではなく、真実の自分、「真我」というのは、そのまたさらに奥に分け入ったところにあるのですが。そんな、真我にたどり着くための段階として、11月のゲートの波動は、内面に眠っているものを揺り起こしてくれるものなのでしょう。
しかしそれは、何も特定の日時にだけ進捗するのではありません。大事なので繰り返しますが、三大ツールの励行などで日々波動を上げていくことが、波動の恩寵をどれだけ受けられるかを左右するのです。これからもたゆみなく三大ツールを活用し、波動を上げてまいりましょうね。

かつてないほどの暗黒波動の猛攻の嵐の中でさえ、タイムゲートの恩寵は素晴らしい
私が今回、もう一つ、波動の進捗を思わされたのは、今回のエポックポイントは、凄まじい暗黒波動の猛攻の中にあった、ということです。
前回も書きましたように、その猛攻はちょっと口で言い表せられないほどのもので、11日のゲート開放の真っ最中も、それがずっと続いておりました。というか、今もって、波はありますが続いているのです。数年前、「波動的に被災した」ということを申しましたが、これほどの猛攻は、恐らく普通の人であれば、重い病気にかかって寝込んでしまうか、死んでしまうようなレベルでしょう。
そんな状況下でも、多少集中を妨げられたりはするものの、普通に生活を維持し、祈っていられる自体が、大きな進捗であると思います。
ちなみにですが、アセンションにも気づかず、祈りも何もしていない人というのは、こうした攻撃や憑依を受けていないわけではありません。むしろ日常的に受けているのに気づいてないのです。もっと遥かに軽い憑依やカルマ想念波動で人生を左右されているのが、祈りも何もしていない人の日常なのです。
そんな次第で、凄まじい猛攻にも耐えて普通にしていられるということが、波動の進捗の現れであるのは確かで、ちょっと気を良くしていたわけなのですが──
しかし私は、ハタと気づきました──そうそう気を良くしてばかりはいられないのではないかと・・。

「悩む」という能力こそ、光の人の資質の証
ユグドアの方に、「スランプです」「あれほど続けていた祈りやマントラが全くできなくなりました」といった、苦悩に満ちたコメントが寄せられる事があります。
それは、これだけ闇の波動が吹き荒れている現在の状況を思いますと、「さもありなん」という感じではあるのです。それらネガティブな想念は、三大ツールを始めとする神聖なツールから人を遠ざけます。
これをやられますと、「なぜか分からないが、どうしても祈る気になれない」という状況に落ち込むことがあります。これはスピリチュアリストだけでなく、そもそも暗黒波動や憑依がもたらすネガティブな想念は、「何をする気にもなれない」という、落ち込んだ気持ちにさせるものです。
私自身、この猛攻の中にあって、同様の状態に落ち込むことがあります。祈りやマントラが全くできなくなることはさすがに滅多にないですが、集中が途切れることはよくあるし、日常的な行動も妨げられます。家事がやけに億劫になったり、必要以上に食べてしまうとか、書く予定でいたブログが書けないとか・・。この状態に落ち込むと、ひどいときはなかなか抜けられないことがあります。言わば「うつ病」の前駆症状のような状態ですね。(そもそも「うつ病」自体が、暗黒波動の憑依が原因でなることも多いのです)
こういう状態の時は、しばらくは焦らずに、神様を思いながら身を任せてみるのも一つですが、なるべく早いうちに、三大ツールを再開することで、症状が軽いうちに抜けることができます。その際、「一日30分やらなきゃダメだ」とか、自分に厳しくしすぎる必要はありません。まずは一分でも一秒でもいいので祈ること、とにかく再開することが大事です。
回復するまでの時間は、三大ツールをはじめとする神聖なツールをたゆみなく続けていれば、徐々に短くしていくことができます。
それより問題と思うのは、その状態から抜けたい、回復したいと思わなくなることです。
私は、ユグドアの方にコメントをいただく中で、順調に頑張ってるんだな、と思える方は、もちろん頼もしく感じるのですが、悩んで落ち込んでいる方についても、実はあまり心配になりません。私にできる限りの励ましやアドバイスはさせていただいてますけど、そんなに心配はしていないのです。
なぜかと言うと、「祈りができないことを悩む」という、そのことが、一定以上のフェーズに至っている光の人であることの現れだからです。そもそも、ほとんどの人は、「祈りができない」と悩む以前に、祈ろうと思ってすらいないことを考えますと、光の人の資質というものが、どんなものであるか分かろうというものです。
つまり、より問題となるのは、「悩まない」という状態です。
私が最近、いつにも気にかかっているのは、何も気づいていない人よりも、むしろスピリチュアリストの皆様のことなのですが、
喜んでばかりいられないと思いましたのは、目下、猛攻を受けているものが、私にとっては絵に描いたような暗黒波動であり、ネガティブ想念や憑依霊なのですが、受ける人によっては、同じものが暗黒波動やネガティブ想念とは感じられないこともあるのでは・・と気づいたからです。

幻惑の脅威は誰にとってもあなどれないが、弱っている時は要注意・・
これまでも折に触れて指摘してまいりましたが、目下猛威を振るっている暗黒波動の攻撃、つまり「カルマ寄越し」が、必ずしも不快なものではなく、受け止める側によっては実に心地よいものとなる、ということは、皆様、認識していただきたいと思います。
私がそれを危惧するのは、私自身が例の憑依霊氏の幻惑に遭ったからだ、ということを、何度かお話してきました。
長年に渡る懸命な駆除によって、格段に楽になってはきたものの、今もってまだ完全な駆除に至らず、執拗に私を悩ませている憑依や寄越しですが、それに苦しんでいる今の状況の方が、まだしもマシなほど、幻惑されていた十数年前当時は、その寄越しが心地よいものだったのです。幻惑の波動がいかに脅威であるかを身をもって知りました。当の本人にマインドコントロールしてやろうという意図がなくても、そうした事は起きるのです。(私の場合は、憑依霊氏の霊的レベルが私を便利なパワースポットのように思っていることによると思われます)
このような幻惑は、どんな状態であってもされることがありますが、最も幻惑されやすい状態は、その人が平常でない状態、テンパっている状態の時だと思います。私が幻惑された頃も、波動環境が今よりもまだ壮絶に低く、私には余裕というものがほぼ全くありませんでした。
もし私が、少なくとも今くらい余裕がある状態だったら、波動レベルも波動特性も全く整合しない人に、カルマ寄越しを認識しているにも関わらず幻惑されるなどという事態が起きたとも思えないし、今でもなぜ心酔したのか、われながら理解に苦しむのです。
フェーズは違いますが、例の独裁者が多くの人々をマインドコントロールした当時のドイツも、過酷な状況にありました。前の戦争で多大な借財をかかえ、多くの人が自信を喪失しているところに不況の嵐が吹き荒れ、失業者が続出していました。彼が人々を幻惑できたのも、あの種の人物は往々にしてカルマ寄越しを日常的に行っているからですが、それに加えて、人々がアイデンティティを失い、弱っていたからだと思います。
そう言えば、旧ブログを始めた当初の記事に、未曾有のテロ事件を起こしたカルト教団のことを書きましたが、あの実行犯の一人が、教祖に心酔した頃、ある種の閉塞感の中にあったと告白しています。高学歴で医師という、はたから見れば恵まれたエリートであってさえ、生活に疲れ、人生に虚しさを覚えるような状態になることがあるのですね。物事を深く考える知的な人や、何かから脱却したいという渇望に近い思いがある人も、幻惑されやすい状態かもしれません。
この「閉塞感」というのは、一つのキーワードです。現在、NESARAを始めとする、スピリチュアルに陰謀論を乗っけた形のマインドコントロールに、多くのスピリチュアリストが幻惑されるのも、閉塞感が根底にあると私は思っています。どこかで、自分が閉じ込められているような、自由でない感覚が常に付きまとっているのです。
そんな、平常ではない状態の中にあるからこそ、スピリチュアル陰謀論が、効果的に人々の心を捉えることができるのではないでしょうか。つまりスピリチュアリストや、アセンションに目覚めかけた人というのは、「何かが違う」「こんなはずではない」ということに、どこかで気づいていて、それがむしろ暗黒波動に付け入るスキを与えていると、言えるのかもしれません。

どんな時でも最も頼もしいものは神聖なるツール、そしてそれを実践するあなた自身
前回に引き続き、このところの私は、暗黒波動の幻惑から皆様を遠ざける効果的なマントラなど編み出せないものかと、折に触れて考えをめぐらしているのですが──
でも、いずれにしても大事なのは、その前提となるセオリーの理解や、思考メソッドです。
次回以降、考察していこうかと思っていますが、とりあえず今時点で言っておきたいのは、アセンションする道筋は、NESARAなどを信じなくても、そんなものより遥かに確実に、自由でバラ色の世界に向かうものであるということです。NESARAなど信じなくてもいいというより、信じていると、真に自由な世界に行けないと、私には思えます。
なにしろ、暗黒波動すなわち線形波動自体が、かりそめの力、かりそめの自由しか持たないのですから、人に与えられるわけもないのです。与えられるのは、自由と解放という「気分」だけ──。それでいながら、その「気分」はかなり強力に人々の心を捉え、アセンションから遠ざける幻惑の力があります。
どんな時であっても、基本となるもの、最も大きな効力を発揮するのは、三大ツールなどの神聖なツールです。暗黒波動にとっては脅威であり、私達にとっては頼もしい、自由と解放へと導く光です。「いついつがエポックポイントだから」ということにとらわれ過ぎず、日常的に、当たり前のこととして続けていること、それがあなたをアセンションにライディングさせる、基本中の基本であると思います。