

「終末思想」はアセンションとは似て非なるもの。ただし「終末思想」と「終末を待ち望む思考」は必ずしも同じではない。そして似たような思考が、アセンションを期する人にも生じることがある
光の皆様、いかがお過ごしですか?
今回はまず、ユグドア支援へのお礼からはじめさせていただきます。
例によってというか、数はとても少ない反面、ぜひ続けてほしいという熱心なコメントをいただけたりして、張り合いが出ました。こちらがレクチャーに注いでいるエネルギーを感じ取って、必要としてくださる方がいるのはやはり継続の大きな原動力です。ありがとうございます。
さて先日、久しぶりに関連サイトの方のブログを更新したのですが、お読みいただけましたでしょうか。こちらははまぞうというブログサービスですが、jimdoというサイトサービスの方でやっているブログです。
最近、このはまぞうブログの方に多大なエネルギーが要るため、他に手が回らず放置してたのですが、ようやく更新できました。今月に入ってすでに二回、jimdoブログの記事をアップしてしています。サイト全体のレイアウトや背景画像など、デザインもお化粧直ししましたので、よければチェックしてみてくださいね。
トップページ
https://spiritual-ascension.jimdofree.com/
ブログ
https://spiritual-ascension.jimdofree.com/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0/
こちらのブログは元々、これまで書いてきた記事が膨大になってきたので、過去記事中からレジュメを読み取るのが困難だろうということで、始めたものです。
・・といいつつ、ほぼオリジナルな記事を書いてたのですが、今後はそういう、過去記事から大事な点をピックアップして加筆修正する、という記事を増やしていこうと思います。オリジナルな記事も書きますけど。
「でも、過去記事ならもう読んでるはずだしな・・」とお思いの方もいるかもですが・・・。
多分、過去記事のどこにあったか記憶すらないとか、そもそもオリジナルな記事なのか過去記事からのピックアップなのか、区別つかない人が大半だろうと思います。
そのくらい、当ブログを読み込んで理解してる方って、少ないと思うのです。そうでなければ、今こうして、あらためて経済のレクチャーしてないですからね。
実際、ユグドアへの質問も、過去記事を読みこなして理解していれば分かるはずの質問が多いです。つまりそれだけ、一回通り読んだだけで分かる人って少ないのです。
現在、世界の波動が激動期にありますから、はまぞうブログを優先することになりますが、それを理解するためには、基本的・普遍的なこともとても大事です。いつも申しておりますように、アセンションのセオリーが実効性を持つためには、情報とか知識だけでは不十分ですから。
それと、私のブログをフォローして下さっている方は、過去記事がアップされた時点より、今の方がずっと波動が上がっていると思います。なので今の時点で読むと、以前よりも深い深度の理解が得られるだろうと思います。
記事更新のお知らせは、関連サイトのトップページをチェックしていただくことでも分かりますが、このブログと同じTwitterでお知らせしています。そちらをフォローしていただくのが最新の更新を知るのに確実です。
↓
https://twitter.com/thenascension
あと、一つお願いなんですが、ぜひ「いいね!」クリックしていただけないでしょうか。
何しろjimdoサイトのブログの方って反応がほぼ全く分からないのです。
はまぞうブログの方は、記事上部のツイートにカウントが出るので、一応反応してくれるのが分かるんですが、jimdoの方はTwitterボタンにカウント数が出ないのです。
Facebookのいいね!ボタンにはカウント数が出るので、お願いしたいです。(※5/29追記:カウント数が出ない状態だったのに気づき、修正しました。今はカウント数が出ます)
もしくは上記のTwitterの方の、私のツイートに いいね!して下さればと。あちらはカウント数が出ますから。
「いいね!」そんなに欲しいか? とお思いかもですが、渾身の記事を発信して無反応って、かなりきついのです。よろしくお願いします。

今回は経済の続きの前に、気になったことについて
さて、前回ご紹介したSOPP、ご参加くださった方もいると思いますが、いかがでしたか。
私的には、前回とほぼ変わらない印象でしたが、一つだけ残念だったのは、今回、一般の方向けのプログラムが無くなり、画面の文字だけ追えばよくなった、というその文字が読みづらかったことですね。
ことに各国の平和の祈りのところ、文字がなぜか紫で、背景によってはほぼ読めない画面があったのは困りました。私自身、「今年はプログラムは要らないです」と周知した手前、ちょっと申し訳ない気持ちになっちゃいましたね。
YouTubeは画面が常に動いているわけですから、太字で大きく、背景と対照的な目立つ色にするとか、文字部分に白地の背景をつけるとかで瞬時に目に入るようにしないと、ことに年配の方は、文字を追うのが大変でしょう。
まあ、この会はサイトのプロじゃないから仕方ないんでしょうけど、多少気を配ってくれたらありがたいなあ・・とは思いました。
それはさておき、内容について言えば、前述のように例年とほぼ変わりなく、良かったと思います。
会としての変化がないわけではなく、次期会長をはじめとする後継者姉妹が、より中心的な指導者になっていってるのも感じられました。
見るたびにあらためて思うのが、彼女たちは基本的にNPOなんだなあ・・ということですね。スピリチュアルではあるけど、世界平和の為の活動家の方々なんだな・・という印象を持ちます。もちろんそれが悪いとは申しません。人にはそれぞれの資質があり、その人が最も整合することをするのが最も望ましいのですから。
ただ、あくまで個人的な心情なのですが、筋金入りのワンダラーであった五井先生を信奉する私も、筋金入りのワンダラーなので、若干の寂しさを感じないでもありません。
でも、現会長もまだあと何年かは現役でいらっしゃるようですしね。高度な霊能者であると同時に、五井先生のチャネラーでもある彼女がいてくれる間は、必要に応じて五井先生の指導は伝えてもらえるのでしょう。その点は頼もしいしありがたいと思います。
さて今回は、経済のレクチャーの続き・・の前に、少し気になったことがあるので、それについて考察したいと思います。
ちなみに、経済のテーマは、これを通してカルマを攻略していこうという試みですので、駆け足で済ませられるものでもありません。その意味でも、別の気になるテーマの記事があれば、合間合間に挟むことは、これからもあると思います。じっくり取り組んでまいりましょう。

かなり衝撃的な発言・・・
先月、「祈りの会」の地元の会合に行きました。
私にとっては、会員さんと会える唯一の機会で、コロナ禍でずっと中止になっていたのが、ようやく先々月に再開されたのです。コロナ禍以前と比べ、めっきり人数が減ったものの、久しぶりに馴染みの会員さんと会えるのは嬉しいですね。
でも先月は、ちょっとびっくりしたことがありまして・・。
会のリーダーを務めてくれている方が、講話の中で「人類滅亡する」ということを言ったんです。聞き違いかとも思いましたが、確かにそう聞こえたんですね。
なおかつ、会が終わったあとで、それに呼応するかのように、別の方が「戦争をやりたい同士で核を撃ち合って滅びたらいい」的なことを言うのが耳に入ったのです。(前回の記事で、ちょっとそんなことを書いたのは、この時の印象が残っていたからなのですが。)
私は本当に驚いてしまったのです。だってどちらの方も、きのう今日「祈りの会」に入った方じゃないですからね。そんな人が人類滅亡を語るのは、かなり衝撃的でした。
私はしかし、自分の聞き間違いか、もしくは単にその人の言葉足らずで、真意が語られてないだけとも思えましたので、今月の会合で改めて尋ねてみることにしました。
で、先日、会合がまたありましたので、聞いてみたのです。「核を撃ち合って」云々と言った方は来なかったので、リーダーを務めてくれてる方の方に、そういう考えについてどう思うか尋ねてみました。
でも、何度か聞いても言を左右にしてはっきり答えないのです。最初は時間上の制約から答えてる暇がないのかと思ったのですが、そういうわけでもないと気づきました。「「核を撃ち合って滅びればいい」という考えをどう思うか」と尋ねているのだから、答えは限られています。率直に答えてくれればいいだけの話です。
私としては、別に揚げ足取りやツッコミを入れたかったわけじゃなく、真意を知りたかったのですが、言葉を変えて何度尋ねても、肯定も否定もしないのです。お陰でこちらもしつこく尋ねるかたちになってしまったけど、そのくらいその方が明確な答えを避けたのです。
ただ、どうも、「戦争をやってる人達があまりに愚かしいので、だったらもう勝手にすればいい」的な気持ちのようだ、というのは分かりました。今回話を聞けなかったほうの人も、同じような考えかもしれません。
とはいえ、人類の未来をどのように捉え、どうしたいと思っているのか、人類が滅亡しても仕方ないと思っているのか・・までは分かりませんでした。それ以上聞いても答えてくれそうにないので諦めたのですが。
私も相手が会員さんじゃなければスルーだったと思います。その方は熱心な会員さんで波動が高い。久しぶりに再会しましたが、以前より波動がまた上がっている。そういう人が、明確に「人類滅亡」を未来として念頭に置いているとしたら、一般的な人よりも危ういだろうと思えます。波動が高まるほど、本人が思ってる未来に行きやすいですからね。
ただ、これらの発言というのは、かなりのこと考えさせられるものをはらんでいるのです。あえてうがった考察をというのではなく、かなり本質的な意味で。ともすればはき違えてしまいそうな、根本的かつ微妙な、そしてそれが、その人自身の道筋まで変えてしまいそうな、最も重要な認識においてです。

ナザレのイエス師が語ったのは、アセンションのこと
この、「人類は滅亡する」という考えを、私が気にかけるのは、他でもありません。
この種の考えは、スピリチュアルにおいて昔からあるのです。聞いたことがある方も多いでしょうが、「終末思想」とか「終末論」とか言われるものです。天変地異や戦争によって世界が滅びるという考えす。
終末論について回るのがアルマゲドンで、最終戦争などと訳されます。互いに攻撃し合って、最終的にすべて滅びるというものです。あるいは終末そのものをアルマゲドンと呼ぶこともあるようです。
こうした終末論は、予言者が語ったものもあるし、宗教的に語られるものもあります。宗教的な場合は、「神の取り計らい」と捉えられるのが一般的で、出典が聖書からのものが多いようです。ということは、そもそもはナザレのイエス師が述べておられたものが、元になっているのでしょう。西洋では聖書の影響が多大なので、こうした思想が古くから人々の心を支配していると言われます。
ただし、ご存知のように聖書はイエス師が書いたわけではないし、後に編集されてもいるので、イエス師がどんなニュアンスで言ったかはさだかではありません。
私が確かだと思うのは、イエス師ご自身はアセンション、及びそれに至る過程で不可避的に起きるイベントのことを語ったのだろう、ということです。
なぜそう言い切れるかというと、彼はサナンダ師だからです。
サナンダ師については、渡辺大起氏の著書をご紹介した際に触れましたね。ワンダラーの総元締めにして金星の大長老です。氏の著書をお読みの方はご存知でしょうが、サナンダ師は地球に何度か転生しており、中で最も有名なのがイエス師とのことです。地球のアセンション・ミッションを牽引する中心人物が語ることが、アセンションでないわけがありませんよね。
このことは押さえておいてください。
確かにアセンションはその過程で、イベントと呼ばれる壊滅的な天変地異を伴うとされ、あたかも終末のように思われるかもしれません。
ですがアセンションと終末とは、似て非なるもの、それどころか、正反対のものであり、アセンション成し得なかった場合に終末となる、と言ってもいいものです。
それほど明確に違うものが、見る人によっては紛らわしいこと、それがどのように紛らわしく、どのように幻惑され、スピリチュアリストを闇に引き込む脅威となりうるか、考察してみましょう。

終末思想とアセンションは似て非なるもの
前述のとおり、終末思想やアルマゲドン説を教義に掲げている人達の思考は、アセンションの認識とは似て非なるものです。
それは、「悪い人間を一掃して良い人間だけ残すための、神の取り計らい」という、一見、宗教的な終末思想です。「一見」と付記したのは、その底にある、神による裁き、選別といった思考と、アセンションで起きる、一人一人の選択によるタイムラインの乖離とは、非常に紛らわしいのですが、本質的に全く違うからです。
そもそも私が終末思想に関心を抱いたきっかけは、昨年、偶然見かけた「宗教二世」の人のドキュメンタリーです。
宗教二世とは、宗教団体の信者を親に持つ人のことです。その人は幼い頃からその団体の活動に参加させられ、結果トラウマ状態になり、成長してようやく脱却したという話です。
この方が語るその団体の教義が、典型的な終末思想だったのです。
この方ご自身は、問題は親から強制されたことだと語っています。実際、その団体だけでなく、恐らく終末思想を持つ多くの宗教で、ほぼ同じことを教えているのでしょう。簡潔に記すとこういうものです。
「世界にはやがて終末が訪れる。神の御心に叶わない人類は滅び去る。そして神を信じる(つまりその宗教に属している)信者だけが助かり、楽園に行ける」
私自身は、ここで特に注目すべきポイントがあると考えています。
それは、この種の終末思想を持つ人の中に、しばしば、「早くそうなればいいのに」と思っている人がいるとみられることです。
くだんの番組をきっかけにその方の著書(一応フィクションとなっていますが、ほぼ実体験と思われる)を読んでみたのですが、そこの信者の方々が、「楽園に行く」ことを心待ちにしている様子が描かれています。
つまりそういう人達は、「人類は滅亡しそうだ」とか、「アルマゲドンが起きそうだ」という時、それを「何とか回避できないであろうか」「どうにか人々を救えないだろうか」と考えているのではなく、
「悪い人間はいなくなり、自分たちは楽園に行ける」という方にフォーカスしていて、それを待ち望んでいる人達も相当数いる模様です。彼らにとって終末という予言は、ある種の福音なのかもしれません。
しかしこれって、皆様もお気づきかもですが、アセンションとよく似ていませんか?
アセンションに伴って不可避的に起きるとされている地軸の大転換、すなわちイベントは、地球世界に壊滅的な天変地異を伴うとされています。渡辺氏によると、どこにも逃げ場はないという話です。
その中で、一人一人の選択によって、アセンションする側と、アセンションしない側に分かれます。ちょっと似ていますよね。(一見、ですけど)

危ういのは終末思想そのものではなく、その背後にある心理
私が危ういと思うのは、終末思想そのものというより、思想の背後にある心理です。
その代表がシャーデンフロイデです。
シャーデンフロイデは旧ブログの内省のテーマで解説しましたね。簡単に言えば他人の不幸を願ったり、自分から見て劣っているところを見つけて喜ぶ心理です。
先日、内省のテーマはもうあらためて考察しないつもりだと申しましたが、もう内省をしなくていいですよ、とは言っていません。内省はとても大事で、ことに今の局面では、常に自分自身を顧みて注意する必要があります。
シャーデンフロイデは世界中の人々の心に蔓延していますが、スピリチュアリストでシャーデンフロイデを抱く人も、非常に多いのです。
理由として考えられるのは、スピリチュアリストがしばしば、肩身の狭い思いをしているからでしょう。時代遅れの信心だと批判されたり、冷笑的に扱われたりすることも多いと思います。
ことに、詐欺やテロなどの、実質はスピリチュアルと正反対である人達が、スピリチュアルを御旗に掲げて犯罪行為を行ったりするので、まともなスピリチュアリストまで不当な評価を受ける現状があります。
ワンダラーやスターシードの場合は、これに波動的な困難が伴います。この物質次元の波動に、存在するだけで苦痛を覚えるスターシード系は少なくなく、中には、周囲の人達に対してネガティブな思いを抱いてしまう人もいます。
そういう私もかつてはそうでした。
以前、ユグドアへのコメントで、人類が壊滅的な被害を受けても構わないから今すぐにでもアセンションしてほしい、といった意味の、過激な心情を書いてきた人がいました。
私自身はさすがにそこまでは思えなかったですが、特に波動の高いスターシードが、この世界でどれほどの苦痛を覚えているか知っていますので、気持ちは分かると思ったものです。
もっとも、大半のスピリチュアリストは、そのような、波動的な不整合が原因で、悲鳴に近い思いを抱くわけではありません。
それでも何かしら、現状の世界に不条理感や生き辛さを覚えていたりする人は多いと思います。
また、スピリチュアルの中でも宗教、ことに厳格な戒律がある宗教の中には、自分たちの教義こそが真実であり、それに与しない人達は堕落した者たちであるという考えもあるようです。
そして、こうした考えが、しばしばルサンチマンを生じさせます。ルサンチマンとは、自分から見て、恵まれている、あるいは優位に立っている、あるいは優位に立ちそうだと感じられる人達に対する、激しい嫉妬や敵愾心を言います。事実がどうであれ、本人が主観的にそう思うのです。大抵は被害者意識を伴います。
シャーデンフロイデとルサンチマンは、コインの裏表のような関係にあります。
つまり、ある対象にルサンチマンを抱く者が、相手が何か痛い目に遭ったり、劣った点が露わになるなどで、自分が優位に立ったと感じられた時に抱く、陰湿な優越感が、シャーデンフロイデです。
これらはネガティブの中のネガティブと言っていい感情ですので、今のうちに手放す必要がありますが、その反面、この物質次元世界で人々をネガティブにとどめる、厄介な感情でもあります。

ぶっちゃけて言えばこういうこと
何だか、アセンションと終末とを一日に語ってしまっているようですが・・・、それ自体は全然違うのだけど、その人自身の心理面においては──つまり、ネガティブな思いでそれを待ち望む人達の心理、という意味ですが──共通しています。(信じる人が全員ネガティブ、というのではありませんよ。「ネガティブな思いで待ち望む人」です。)
すごくぶっちゃけた言い方をしましょう。
このタイプの人達は、何かコトが起きてくれないと、自分たちがいかに信心深く、どれほど光の人であるか、目に見えて分からないわけですね。
物質思考一辺倒の人が勝ち組の世の中なんて間違っている。自分たちこそが心が清らかな神の子である。だから、邪(よこしま)な心の人達はいずれ報いを受け、滅びるだろう。──
それはある種の「優越感への渇望」です。つまり、終末を待ち望む人の心理には、優越感を抱きたいという願望があるのです。自分たちが優れている、選ばれし人であると実感したいのです。
優越感はどこから生じるかというと、劣等感から生じます。劣等感はどこから生じるかというと、自分の心が解放されていない状態、つまり閉塞感から生じます。自分の心が何かに縛り付けられていて、抜け出せない状態です。
つまりそれは、制限された状態から生じます。制限された状態とは、線形である状態ということです。
これが、終末を待ち望む人たちに共通する思考だと思われます。
そして、同様の思考を、アセンションを待ち望む人の中にも、持っている人がいるのです。
アセンションは人類の滅亡ではありません。しかし、このような心理状態に基づいてアセンションを待ち望むなら、それは終末思想と同じです。
逆に言えば、終末を信じる人の中にだって、「何とかそれを回避したい」という思いを抱く人もいるでしょう。だからこそ懸命に布教をしている、というなら、それはシャーデンフロイデではないし、ネガティブでもありません。
つまり何を信じるかに関わらず、その背景にある心理が、人によって、ネガティブでもあり、ポジティブでもあることになります。

アセンションは地球の終焉ではない
前項では、終末とアセンションを便宜上、同じように語りましたけど、繰り返しますが両者は「似て非なるもの」です。
一応おさらいしておきましょう。アセンションへの過程において、近い将来、地軸のは大転換は起きるとされています。この大転換自体は不可避でしょう。
その際に、波動の大転換になるかがキーです。地軸の大転換が起きても、波動の大転換を伴わなければ、それはアセンションが失敗したことを意味します。
アセンション成し得ないとは、つまり、惑星ルシファーの二の舞です。惑星ルシファーの項で説明しましたね。火星と木星の間にあった、王子ルシファーの名と同じ名の惑星のことです。
つまりアセンション叶わなければ、惑星ルシファー同様、地球も粉々に破壊されてしまうか、あるいはそれに匹敵する壮絶な事態となるのでしょう。まさに地球と地球人類の終焉ということになります。
ここで思い出してほしいのですが──惑星ルシファーがアセンションなしえず、粉々に砕け散った時でさえ、一部の、王子ルシファーに与しなかった者たちは、その次元領域から脱却したのでしたね。
つまり、惑星が砕け散ろうが、無事にアセンションする者たちはいたわけなのです。
それであっても、ルシファーにおけるアセンションは失敗だったのです。つまり「アセンションの失敗」とは、惑星全体の運命として、アセンションするに十分なまでに波動を上げきれなかったことを言います。
以前から、「地球がアセンションすることと、あなたがアセンションできるかどうかは別の話」と言ってきましたが、その逆も真なりなのです。私たち一部の人間が、低い次元から脱却できたとしても、地球のアセンションが成し遂げられるかどうかとは別の話です。
ルシファーのケースと同様、惑星が破壊されても、光の人であるあなたは無事かもしれない。肉体は死んだとしても、魂は救われるかもしれない。しかし地球自体がアセンションに失敗したとしたら、あなたがここまでしてきたことは水泡に帰すでしょう。
アセンションや、それに伴うイベントのセオリーは、一見、終末思想と酷似しています。イベントで起きる地軸の大転換は、どこにも逃げ場がないほどの天変地異を引き起こすとされています。これは一見終末のようです。
そしてどちらも、それぞれの運命、タイムラインが、その人の選択次第で分かれます。どこに違いがあるのか、表面的には分かりません。
実際には正反対と言えるほど違うのに、物質思考的には酷似している・・だからこそ、これが轍となるのです。これは、スピリチュアルの道を行く者にとって、大きな思考の罠なのです。
この罠に陥る人は、初歩的な人だけとは限りません。むしろスピリチュアルをよく研究していたり、波動が一定以上に高かったり、かなり知能が高い人も非常に多いのです。
この思考はまた、シャーデンフロイデだけでなく、「恐れ」によっても生じます。「人類が滅びるかもしれない」とか、「核戦争が起きるかもしれない」という思考は、恐怖心を生じさせます。心がおびえます。それが「自分だけは助かりたい」という気持ちを起こさせます。
「あなたは大丈夫だよ」「祈っている人は良いところに行けるよ」「安心していいよ」といった教えは、ポジティブです。それが、「何があっても私たちは大丈夫」になります。ここまではいいのです。「私たちさえ大丈夫ならいい」になった時が、危ういのです。さらに「分からない人達は滅びればいい」となったら、完全なネガティブです。

戦争想念波動からの解放とは、世界の平和に寄与すること。戦争する人達を見下すことではない
しかし皆様の中にも、少し解釈というか、切り分けが難しいと思う人がいるかもしれません。
常日頃から私は、「戦争想念波動から乖離すること」を提唱してきました。あなた自身が、戦争想念から解放され、戦争と無関係なタイムラインへとシフトすることが大事だと。それが地球人類全体の平和に寄与し、地球の波動上昇にもつながるのだと。
しかしそれは、「戦争でも何でもやりたいやつはやればいい」「人類滅亡すればいい。私は無事だから」という思考とは違います。違うどころか正反対です。
「戦争想念と無関係でいる」とは、戦争をしている人達に対し、無慈悲になったり、優越感を持つことではありません。シャーデンフロイデはルサンチマンと並び、最も陰湿で根の深いネガティブです。そんな想念が、アセンションを期するセオリーと同じなわけはありません。
あるいは戦争によって滅びの道をたどる人達はいるかもしれない。その一方で、たゆみなく祈る人達は無事かもしれません。しかし「核戦争でも何でもやって滅びればいい」と考える人は、地球が破壊される未来に行くことを認めています。私には、そんな思考を持つ人が、本当に無事かどうかすら分かりません。
「戦争想念と無関係になる」とは、人それぞれの選択を尊重することであり、冷淡な思考ではない。峻厳ではあるが、無慈悲とは違うのです。
そこをはき違えると、闇波動につけ込まれ、恐れや劣等感からシャーデンフロイデを抱かされ、ネガティブを増幅されるのです。

ともすれば陥る思考の罠
ここでまた、「祈りの会」に話をもどしましょう。
現会長は、とにかく地球を救いたい一心で活動しておられるので、会員さんたちを鼓舞する必要があります。
いつも申しておりますように、世界が今、過酷な過程を経ながらも、順調に波動を上げていけるのは、神聖なるツールの励行により、アセンションの先端で波動を上げる人達の働きがあるからです。その働きがどれほど不可欠で重要であるかを、強調する必要があるわけです。
でもそれが、一部の人の心の中で、ある種の選民意識やシャーデンフロイデなど、終末を待ち望む人達と同じ心理を抱かせるのかもしれません。
そうだとしても、現会長のせいじゃないのです。ナザレのイエス師が語ったことが元で、シャーデンフロイデを抱く人が出てきたとしても、イエス師の責任ではないようにです。あくまで、受け取る側に、何かしらの心の闇があり、それが闇波動の幻惑と結びついて、ネガティブな心理に引き込まれるのです。
闇波動の幻惑・・また出ましたね。世界に渦巻く線形波動・闇波動は、どんなチャンスも逃さずに心に侵入し、私たちの中に眠るネガティブを刺激して、心の闇を増幅させようとします。
「祈りの会」の会員でさえ、ともすればそういう思考に陥りがちな様子を見ますと、どれほど「線形波動の甘い罠」か、分かろうというものです。

あなたはこのゲームに勝ちたいか?
あなたは今のところ、この過酷な次元の中で、自分が救われることを願い、それだけに心が向いているかもしれませんが、いずれ、少しでもゆとりができたら、地球のアセンションを成功させたいと願うでしょう。それが光の人の証左だからです。
これはアセンションという名のゲームであり、勝っても負けても、魂が滅びたりはしない。でも私は勝ちたいですね。あなたも勝ちたいでしょう? 勝つとはつまり、地球が無事にアセンションすることです。
それには、いつも言っているように、高位神霊からの波動の降臨をこの地上に降ろすこと、そして降ろし続けることが何よりも必須です。
そしてそれと同時に、終末を待ち望むのと同様の心理状態に陥らないことも、同じくらい大事なのです。