

「知」の中で、唯一霊性に関係するのは「非線形の知」だけ。財と富で、真実私たちを解放するのは「非線形の富」だけ
光の皆様、いかがお過ごしですか?
夏至はいかがでしたか? 同時瞑想の方は、波動が荒れていた中で実施いたしましたが、滞りなく、うまく行ったと観じております。参加者の方、ありがとうございます。今回は参加されなかった方も、夏至のエネルギーは享受されたのではないかと思います。
jimdoブログを更新しています。
https://spiritual-ascension.jimdofree.com/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0/
この記事は旧ブログの記事に加筆修正したものですが、次回はガヤトリーマントラの凄さを実感していく話で、それはオリジナルな記事となります(あくまで予定です)。
旧ブログといえば、このところ、旧ブログの「財と富の神のテーマ」の記事を読み返しておりました。一体どのあたりが不足だったのか・・と検証する思いで読んでいたのですが・・。
でもその当時も、キモとなるセオリーは一応押さえて解説しているではないか・・と思いました。今回改善する点があるとすれば、スピリチュアルと物質世界をどう繋げていくか・・という点ですね。同じセオリーでも、説明する際のアプローチの仕方で、読む方への響き方も変わってきます。その意味で、以前と全く同じアプローチをするつもりはありません。祈りの文言など、具体的なメソッドも修正するつもりです。
しかし考えてみれば、以前セオリーを列挙しただけでも功を奏した人が、いたにはいたのです。つまりレクチャーが功を奏するには、そのメッセージを受け取る側に、それなりの受け皿ができていることが大事だと思います。その意味で少し皆様の側の意識を今一度見直していただくことが、前提として必要かもしれないとも思いました。
「三大ツール」で波動を上げておられること、これが大前提であることは繰り返してきましたが・・・意識をどういう所に持っておくかについても、前もって説明しておいた方がいい点があるかもしれません。
それについて書く前に、前回の補足を少し書いておきたいと思います。

「知」と「霊性」について
先日また、「祈りの会」の地元の寄り合いに行きましたら、ある方が、この会に誘いたいと思ってる人がいるとのことで、その方のことを、ある有名大学の学生だか出身者だと言うのです。
その方がどういうつもりで大学名を言ったのか分かりませんが、とかく人は、ある人物のことを誰かに説明する際、その人が高学歴だと、まずは出身大学を挙げる、ということをしがちな傾向にありますね。
常日頃から「世間の風潮」に調子を合わせて暮らしている私も、もしかしたら同じことを言ったかもしれません。
ともあれ、それがきっかけでちょっと思いめぐらしてみたのですが・・・、
学歴というものが、霊性レベルと何か関係があるかといえば、全く関係がありません。どのくらい関係がないかというと、「ザ・無関係」といってよく、つまり、塵ほどの関係もありません。
それでいて、このところ私が折に触れては警告している、スピリチュアル陰謀論やカルト教の洗脳といった話の中で、高学歴ということが関係しているような話もしてまいりました。この点が、もしかしたら読者の方に、何かの先入観や混乱を与えてしまっているかもしれないと気づいたので、前回の補足として、まずはこの点について整理・解説したいと思います。
まず、学歴というものですが、この場合はまあ、偏差値と言い換えてもいいかと思います。
偏差値とはつまり、「知のインジケーター」の一つと言えますね。つまり「脳の能力の指標」です。
しかし「脳の能力」と一口に言っても、さまざまな種類があります。
では偏差値は何をインジケートしているかと言いますと、ざっくり言えば、試験で高い点を採る能力であり、それは日本の場合、おおむね「記憶力(引いては知識量)」と、「知能指数(いわゆるIQテストでの得点)」ということになるかと思います。
しかし脳の能力は、他にも色々ありますよね。「思考力」「読解力」「情報の取捨選択能力」「認識力」「応用力」「分析力」「発想力」「洞察力」「想像力」「創造力」「直観」など──。(この直観は、いわゆる第六感とは違う、ある事象に対して瞬間的な理解をする能力のことです)あと、「情緒」も脳の能力の一つだと思われます。
そうした数ある脳の能力の中で、「高学歴」がインジケートしているのは、おおむね上記の二点だけということになります。
ですから、脳の他の能力については、学歴だけでは「分からない」ということですね。だってインジケートしてないんですからね。あるかもしれないし、ないかもしれないし、それぞれがどの程度かも分からない、ということです。
さて、学歴は霊性とは関係ないと言いましたが、「知」というものが、霊性と関係ないわけではありません。
では、霊性と関係のある「知」とは何であるか、ですが、簡潔に言えば、それは「非線形の知」です。
ここで、知を大きく「知能」「知性」「英知」という三つに(普遍的な名称というのではないですが、定義づけの為に)分けて考えてみましょう。
「知能」とは「線形の知」、つまり記憶力による「知識」、「IQテストの得点」など。最も定量化しやすい、分かりやすい「知」。
「知性」とは、霊性の段階に一歩踏み出した「知」。画一的なテストなどでは表れにくい、知識が良識や教養となって熟成されていくような、有機的に深度を深めた「知」。線形ではあるが、非線形への扉を開いた段階。
「英知」とは、「非線形の知」。霊性の階段を昇ることで得られる、宇宙の「絶対知」へと向かう「知」。よほどの覚者を除いて、肉体人間で得られるのは、「英知」の中でもほんの端緒といったところ。それでも私たちにとっては、知能から英知への差は大きい。
(これらは現実には、それぞれの段階の中にも小さな段階があり、グラデーションのように成長していくのが一般的と思いますが、ある段階からある段階に、広い高原に到達したようにステージが変わる場合もあります。)
以前、霊能力と霊性は違うという話をしましたが、この「知の段階」も似たところがあります。知能が高いからといって知性や英知があるとは限りませんし、また逆に、英知を身につける段階に入った人が、知識や知能についてはいたって平凡なことも往々にしてあります。
つまり、前述したとおりということです。知能は霊性には関係がありません。「知」で霊性に関係があるのは「英知」だけです。

高学歴がリスクになりうるケースとは
さて、ここまでを踏まえ、高学歴の人で、スピリチュアル陰謀論に幻惑されたり、カルトに洗脳されやすいタイプの人というのがどんな人であるかと言いますと、「知能」はあるが「知性」はそう高くもない、ましてや「英知」の段階には全く至っていない人、ということになります。
ただし、別に高学歴でなくても、そういう人は沢山いるわけですよね。
では、中でも高学歴とか高IQの人が、幻惑されがちで、しかもいったんされるとなかなか脱却しにくいのはなぜか・・、と申しますと、
それは、高学歴でかつ「線形の知」しか持たない人というのは、自分が「非線形の知」においてはまだ非常に幼いということを、自覚しにくいからです。自分の知力に強い自信を持っているうえ、周囲もまたそのように評価しますので、自分が知において未熟なレベルがあるということが、思いつかないのです。
くどいようですが、学歴が高いからといって、線形の知以外のレベルが低いということではありません。単に学歴ではインジケートされないというだけですから、学歴のあるなしに関わらず、それぞれの知の段階は、それぞれの人によります。
ただ、世間一般の評価として、偏差値がインジケートする、ごく限られた知の能力だけを基準として、頭が良い・悪い、と評価されがちなために、なまじ高学歴の人は、自分の知的レベルを過信しやすいという意味で、霊性開発においては若干のリスクがある、とは言えるかもしれません。
ちなみに、カルトに洗脳されるタイプには、情緒的に幼いタイプも多いようですが、これも、知的レベルは決して低くないケースも少なくありません。子供の頃から優等生で、特に問題も起こさず過ごしますと、周囲がそうした幼さに気づきにくく、そのまま成長するということもあるようです。これもある意味、霊性開発のリスク要因となりうるケースかもしれません。
以上が、知に関しての考察ですが、ついでにもう一つ、幻惑されやすいタイプがあるということも、付け加えておきます。
以前も書いたかもしれませんが、霊能力とか、波動感知力がある人です。(もちろん、いわゆる正覚を得た人は除きますが、そんな人は滅多におりません。)
霊能力や波動感知力がある人は、そのことにスピリチュアリストとしての自負を持っていたりもしますので、こうした人がいったん幻惑された場合も、脱却が難しいかと思います。
これまでも折に触れて述べてきましたが、大事なことなので繰り返します。線形波動や闇波動の傀儡が、厳粛できらびやかな神々や天使、好意的な宇宙人を装うことは、実に実に簡単なことなのです。それらの連中と、真実の高位神霊がたとを峻別できるのは、言葉や理屈を超えた、「英知」の域に属する直観だけです。つまり、容易なことではないのです。
特に何かが見えたり聞こえたりする人は、判断がつかないなら、「一切耳を傾けない」のが得策かと思います。
いずれであっても、大事なのは、自分を知ること、つまり内省の力、自分に対する客観性です。知力や霊能力に自負を持っている人は、自負が過信とならないように、常に注意することが大事かと思います。

財と富の本質は、財と富ではない
さて、冒頭に書きましたように、経済のレクチャーの続きですが、予定していた内容で続ける前に、レクチャーの後の方で書こうかと思っていたことを、今時点で少し触れておくことにします。またあらためて丁寧に解説しますので、今回はざっと分かっていただきたい点を書いてみます。
皆様の中に、まだ、財と富の神のテーマが、お金を得るためのレクチャーだと思っている方が一定数いるように思います。まあ、そもそもが財と富とか、経済と銘打ったテーマなので、そう思うのも無理はないと思いますが・・・。
しかし私は、どちらかというと、お金が欲しい方向けというより、お金を否定する方に向けて、書いてきたテーマでもあるのです。
この「お金を否定する」という否定の仕方ですが、顕在意識では特に否定などしてないかもしれません。でも、潜在意識で否定しているのです。それというのも、特に真っ当なスピリチュアリストの方というのは、お金というものを「不浄の物」と思いがちで、そこの意識をまずは変えていただきたいというのがあったのです。
それは、本来なら光の人に自由をもたらすために作用しうる経済という仕組みが、お金を蔑むことによって、闇の支配を強化することに繋がっているからです。
しかしどうもここ数年で、そうしたタイプの人達よりも、お金というものを肯定する風潮が高まってきたように感じています。肯定するのはいいのですが、そこに執着や欲望が強く感じられるのです。
要は、かつては、お金というものに何らかの罪悪感が刷り込まれていて、お金をあえて見下すというか、「お金なんて」という否定的な思いが主流だったのが、「私はお金が欲しい」と公言してはばからなくなってきた、ということです。
それが、スピリチュアリストの間でも広まってきて、だからこそ、NESARAのような情報を信じる人が出てきたんじゃないか・・と。
つまり、ちょっとややこしいことになってきたんですね。
問題は、「欲しい」という場合の、欲しがり方なのです。お金を欲望や執着の対象として望むなら、お金を不浄のもののように蔑むのと、何の違いもありません。
で、皆様に認識しておいてほしいんですが・・・お金には大別して二種類あると思ってください。一つは「執着や欲望の対象」で、これは「線形の富」です。もう一つは、「自由と解放の糧」で、これは「非線形の富」です。
前も書きましたように、「線形の富」は、その実体は真の富ではありません。瓦礫とか枯れ葉のようなものです。昔話風に言えば、狸とか狐にばかされて、石や葉っぱをお金だと思い込んでいるようなものです。「非線形の富」だけが、真実の富です。
ところで、この「非線形の富」は、必ずしもお金という姿はしていません。「線形の富」の実体が枯れ葉だとしたら、「非線形の富」の実体は光だからです。特定の姿ではないわけです。
ただ、私はある意図をもって、あえて経済とか、財と富という言葉を使っています。
それは、経済をよすがにした闇の支配を終わらせたいからです。経済を否定していると、いつまで経っても、経済が闇のもののままです。これが、連中にとって強力な兵器になっているので、その状況を終わらせるために、あえて経済というものをテーマの中核にしているのです。
この、経済による闇の支配を終わらせるには、なにも、全世界的な変革をしようとか、思わなくてもいいのです。
皆様お一人お一人の「世界」の中で、闇の支配を終わらせればいいのです。つまりこれも、戦争想念波動と同じで、あなたがいるタイムラインで、経済があなたを支配する世界から、あなた自身が乖離すればいいのです。
で、それに際して、財や富を不浄の物であるかのように否定するのも、大変よろしくないのですが、逆に、お金大好き!とばかりに、お金に向けてまっしぐら、というのも、必ずしもポジティブとは言えないのです。
それは経済を用いた闇の支配を終わらせる、という本来の目的が果たせません。
NESARAを信じるのも、その意味でよろしくないのです。これはNESARAがガセか、それとも当たるか、という話ではありません。むしろNESARAが現実になる世界に、もしあなたが行ってしまったら、線形波動の幻惑にからめとられた、ということになると思います。つまりそうやって得る財や富が、欲望や執着の対象であるなら、何の変革にもならないのです。
そうしたことも含めて、順々に解説していきたいと思っているのですが・・・
まず皆様に、お金というものに対する執着を捨てていただくために、ですね。
一度、アセンションの際、あるいは肉体から離れた時のことを、考えていただきたいと思います。

アセンションの際、肉体に留まるにせよ離れるにせよ、波動的な準備がないと、それなりの大変さが・・
アセンションに向かう世界では、肉体にとどまるか、とどまらないで離れるかは、重要ではありません。それはどっちでもいいんですが、どちらにもそれなりの大変さがあります。
一言で言えば、あなたが「その時」に、肉体に留まっていようが、離れていようが、あなたがアセンションの波動に整合していれば大丈夫で、整合しなければ耐えられずに降りてしまいます。ですから、経済にまつわるネガティブを手放しておくのも、この準備のためだ、と申しましたね。
「この時」のことを、今あなたがイメージできたとしたら、お金がどれだけあるとかないとかなど、何ほどのことでもない、些末なことだと痛感するでしょう。
肉体に留まったままアセンションを迎えられる人は、そう多くはないと言われています。渡辺氏によると、そうした方々は、波動の大転換の際は、さすがに地球にいられないので、宇宙人ワンダラーさん方が一時避難させてくれると書いていますね。
渡辺氏ご自分が波動が高いので、それが波動的にどんなことか、あまり考えていないと思いますが、肉体に留まったまま波動の高い宇宙船に乗ることができる人は、今かなり頑張って波動を上げている人じゃないでしょうか。そう、これをお読みのあなた、「三大ツール」を励行しているあなたですね。
で、それ以外の人は、その時が来たら、または、その時が来る前に肉体を離れると思います。
でもあなたももしかしたら、肉体を離れる組かもしれません。それは魂が選択しますからね。もう肉体が煩わしいとあなたの魂が思えば、離れるかもしれません。
でも離れたら離れたで、ある意味大変なんです。そう簡単じゃないのです。
五井先生も、死の瞬間(つまり肉体の無い世界へ移行する瞬間)が肝心だ、と言っています。ここでスムーズに移行できませんと、かなりのこと大変な過程を経ることになるのです。この話はまた別の機会にしますけど、肉体を離れる予定の人も、ですから今のうちに、波動をできる限り上げておくことが大切なのです。
とにかく、肉体に留まったままにせよ、離れるにせよ、私たちはその道に向かっています。そして「その時」が来たら、皆様、「お金がいくらほしい」とか、「経済的に厳しい」なんてことが、単なる前哨戦だったと思える時がくるのです。
つまり「財と富の神」と私があえて呼びならわしている神とは、この世界でもっとも私たちを線形世界にとどめる者どもから、私たちを解放する神なのです。
あなたが「その時」に至った時、かつてこの世界の経済に悩まされたり振り回されたことが、「あの時は大変だったな~くすっ」と思えるのか、「あの時手放せるだけ手放しときゃ良かった・・」と思うのか・・そこが肝心なのです。私は皆様に、前者であってほしいと思ってレクチャーを書いているのです。
この話はまた後日のレクチャーで書こうと思っていたんですが、前もって少し念頭に置いておいていただくために、今回サクっと触れてみました。

波動の先端を行く皆様がいるからこそ・・
このところ、本当に波動が荒れておりますが、数年前だったら耐え難かった波動に、今は耐えることができます。世界の波動は、これほど悲惨な様相が繰り広げられていても(もしかしたら、だからこそかもしれませんが)、極めて順調です。この順調さを支えているのは、私たち光の人の、「神聖なるツール」の励行です。世界平和の祈りであり、ガヤトリーマントラであり、マカバ瞑想です。高位神霊がたが、いかに高貴なる波動を降り注いでくださっているとはいえ、それを享受する器なくして、アセンションはなしえません。
私は今、こうして肉体を持って、この三密度物質世界に存在していること自体が辛いのです。どこにいても、何をしていても、ただ「いる」だけで辛いというほどの猛攻です。
でも、こうも思うのです。この猛攻に遭いながら、私はあいも変わらず、普通に行動し、祈り、マントラを唱え、瞑想をしている。線形波動の猛攻に波動が下がり過ぎると、そもそも、それができないのに、これだけの嵐の中でも、いつもと同じように「三大ツール」に励んでいられる・・・。つまり、正気を保っていられる。これが何より大事だと。
そして地球さんもまた、同じように「正気を保っている」のだと。この嵐のような上昇の過程で、崩壊することなく、波動上昇の道を進んでいるのだと。私たちと地球さんは、手に手を取って、ともに上昇の過程を進んでいるのだと。
光の皆様、ことに、波動の最先端を行かれている方ほど、今が辛いときかもしれませんが、それはあなたが栄光の道を歩んでいる証左でもあります。次回は何とか経済のテーマの続きを書きたいと思っておりますが、「三大ツール」をお続けになられていないことには、記事の内容があなたの中に浸透しませんので、ともあれお続けになることを、お勧めいたします。