

選挙の前後から、闇波動が一段と猛威をふるい、吹き荒れている。まさに戦争想念波動からの脱却の正念場。 及び 経済のレクチャーの続きを少し
光の皆様、いかがお過ごしですか?
まずお知らせですが、7月26日の惑星新年元旦の同時瞑想は中止とさせていただきます。今年は中止を避けたかったので残念ですが、理由は記事をお読みになるうちにお分りになると思います。
ただ、世界の波動状況は非常に緊迫しております。惑星新年元旦は、この惑星の新たなサイクルの始まりであり、同時瞑想を実施する・しないに関わらず、エネルギーの高まる日です。この好機を逃さず、「世界平和の祈り」や「戦争想念波動の戻しのマントラ」、「ガイアとシンクロする祈り」など、ご自分の好むツールを、いつもより集中してなさっていただくなど、活用されることをお勧めします。
選挙が終わり、政権政党が圧勝しましたね。さすがに‘危険水域’に入ってきたと言わざるをえない状況に、私自身、厳しい思いがいたします。
実際、選挙の前後あたりから、線形波動がモウモウと湧き上がってきており、現在、凄まじいことになっております。
今回は経済のレクチャーの続きをするつもりでいたのですが、あまりの状況なので、まずはこの話題から始めたいと思います。
この状況で与党に入れる人は、一党一強の恐ろしさが分かっていないのかもしれません。それがどんな政党であろうと、一党一強がある水準、臨界点を超えた時、一党支配、つまり独裁となります。ひとたびそうなった社会体制が、元に戻ることは不可能と言っていいほどに困難と言えます。すでに今の時点でも、その兆候が社会のあちこちで見られます。
どんな状況になっても民主主義は機能し続けると思ってる人がいるとしたら、ナチス・ドイツが民主主義の選挙で選ばれたことや、あの独裁者氏がハリウッド・スター並みの人気があったことを知った方がいいと思います。
誰に限らず、典型的な線形波動の人物は、この線形世界と親和性が高いせいか、人心をとらえることがしばしばあります。そうした人物が美化されたり過大評価されることにより、本人の中に潜んでいた心の闇が増幅していくことで、闇波動の傀儡となっていく。それがまた、周囲の、その人物を賛美する人達にも伝播し広がっていく──そうしたことは、この線形世界では決して特殊な例ではなく、しばしば起きるのです。
ですから、「今の政権政党にそこまで強権的な人間はいないから大丈夫」とか、いうことでもありません。
たとえば選挙日直前に起きた銃撃事件にしても、ああしたことが人心にあたえる衝撃が、タイムラインに影響を及ぼすことがあります。事件そのものというより、それが人々の想念に影響した場合に、タイムラインもまた影響されます。
加害者に政治的背景はなく、被害者の元首相がある教団と深いつながりがあると思ったことから凶行に及んだとの事です。事実、加害者の家庭は母親が教団に入信したことから破綻したそうです。
また、被害者と教団に関りがあったのも事実のようです。それがどこまで深いものだったかは分かりませんが、加害者の視点から見て、両者が深く関係していると認識していたのは事実でしょう。何の関係もなくて報道されているようなビデオメッセージを送ったりはしないでしょうし、そう思っても不思議はありません。
また、当初は教団幹部を狙ったがガードが固くてうまく行かず、被害者に狙いを定めたというのも、応援演説の日時や場所が周知されるのですから供述通りなのでしょう。
こうした動機について加害者は、逮捕当初から語っていました。それでも、「民主主義への挑戦だ!」などと声高に叫ぶ人達がいますね。もしそうだというなら、この国では政教分離がなされていないと言っているも同然です。
しかしここで政治理念について語るつもりはありません。世界の命運にとって最も重要な点は、想念です。銃撃事件という衝撃は人々の情動をゆさぶり、理性や理論が吹っ飛び、ただ情動に支配された思考になってしまうことが往々にして起きます。人によっては修正が利かないほど思考状態に影響することもあります。これがタイムラインに大きなダメージを与えないといいのですが。

一党一強の社会は「現状維持」ではない
もしかしたら多くの人が、「現状維持」のためには与党、と思っているのかもしれません。が、むしろ、与党がある水準を超えて強くなると、極めて急激に社会が変化していきます。それも悪い方向に変わります。この話はこれまでも当ブログで触れてきたことですが、それがどれほど恐ろしい事か、実例がいくつもあるのに、大半の人は気づいていないように見えます。
まあ、今の野党が、選挙のたびに、社会を変えよう変えようと連呼するのもいけないんでしょうが・・。実際は、この状況であれば、現状維持したいなら野党に入れるのが順当な判断と言えます。
今の野党が政権を奪取することはありえないし、万一あったとしてもすぐに奪い返されます。そういう、与党に対して一定以上に拮抗する批判勢力の存在があって、社会はおおむね現状を維持していけます。与党は変革であれ批判の封じ込めであれ、選挙での不利を恐れて、あまり強硬なことができなくなります。今はその抑止力が非常に弱まっていて、本当に危険水域だと思います。
つまり私は「保守だから」「現状維持派だから」目下のところ野党に入れることにしているのです。
もちろん、波動的には、現状維持どころか、かつてない大変革に向けて進んでいるわけです。だからこそ、「その時」に至るまでの間を、極力、大過なく進むためにですね。
その意味でも、肉体行動がまったく無意味ということはないのです。結果はどうあれ、肉体行動として自分がするべきことはしておこうという思いから、私も投票だけはしているわけなのです。
死票になっては意味がないので、議席を取りそうな、なおかつ護憲派それも9条維持の人や政党にですね。そういう批判勢力が議席を一定数持っていてくれないと、あれよという間に変わってしまうでしょう。
ちなみに白票を投じようという声が一部にあるようですが、私には無意味だと思えます。
どの政党も支持していないという点は私も同じなので、気持ちは分かるのですが、白票は無効票で棄権と同じですから、現状では何ら機能せず、意味がありません。
もし白票に何らかの意味を持たせたいなら、まず選挙制度を変える必要があります。ですがそれは、ただ待っていて変わるものでもなく、野党に入れるよりも多大な努力をしなければ不可能でしょう。これだけ与党が強いのに、自分たちに不都合な、未曾有の改革に乗り出すとは思えません。
そこが──一党一強が「あれよという間に何かを変えてしまう」──ことが、何よりのポイントです。
今の政権与党の一番困った点は、9条を無くしたい派の人達が優勢ということです。今回で勢いづいて、原発の再開や、核ミサイル配備などもやりそうです。もしかしたら徴兵制だって復活するかもしれません。いきなり義務化はせずとも、いわゆる「経済的徴兵」とかは現実味があるように思えます。実際にそういう話がこれまでも出たことがあったようですしね。そういうことが、一党一強で批判勢力が弱いと、話だけで終わらず、たやすくできるようになります。
(なお、原子力発電に関しては、軍事目的と違い平和利用だからいいのでは、とお考えの向きもあるかもですが、渡辺氏の著書によると、宇宙人さんがたは、そのような区別はしていないようです。これについてはまた後日以降の記事にて考察するつもりです)

もちろんこれも、想念波動の「現れ」ではある・・
とはいえ、もちろん、こういう状況になるのは、それだけ線形波動が吹き荒れているからなのです。つまり、「私たちが、そういうタイムラインにいるから」と言えばそれまでなのですが。
線形波動ひいては暗黒波動というのは、別にそれ自体が、右だとか左だとかの、政治思想を持っているわけではありません。その時の状況で、最も闇を増幅しやすい方に人心を誘導するのです。社会状況的に、資本主義の闇の方が増幅させやすければそうするし、共産主義の方が闇を増幅させやすい状況ならそうする、という風に働きます。表面に現れる形はさまざまでも、人々を支配し、抑圧し、線形の渦の中に引き込むように働くのです。
波動的にどうかと申しますと、選挙前後から非常に厳しくなりました。私がこの話を書いている所以でもあるのですが。
具体的には、数年前に「波動的に被災した」と申しましたが、同じ攻撃に見舞われました。もう二度とごめんだと思っていたのですが・・。この状態になると、あまりの苦しさに存在するのが嫌になります。
この状態になると、身動きが全くできません。頭の中を始め、体の中を闇の嵐でなぶられているようで、起き上がる事もできず、通常の生活は全く無理となります。必死の祈りで何とか動けるところまでは回復したところです。
実は今も完全に回復できていはいませんので、いつ同じ状態に陥るか分かりません。口で言えないほどの凄まじい闇の攻撃が、今も私を嵐のように襲い続けています。正直言って、もうこのミッションを放り出してしまいたいくらいなのです。
「ふーんそりゃ大変だねえ・・」なんて、他人事のように思う人もいるかもしれませんが、分かっておいていただきたいのは、私は世界の波動を前倒しで感知するということです。私のところに渦巻いているこの状態は、もしもこの物質世界に現れたら、間違いなく第三次大戦なのです。
この数年は、高位波動の降臨のお陰で、このような状態に陥ることを防いでいたのです。つまり、現況として、波動の降臨が追いつかないほどの膨大な闇波動が吹き荒れているということです。
これを波動のレベルで食い止められるのか・・それとも、物質世界に現れてしまうのか・・それはまだ何とも言えません。
この逆風をその身に受けている人が何人いるかは分かりませんが、波動の先端でこれら闇波動の逆風を受け、打ち消していく者なくして、それ以外の人のアセンションも叶うことはありません。ですから、その人その人のキャパに応じて、これら危険な闇波動をシェアするよう、高位神霊が取り計らっているのではないか・・と思います。
つまり私が「波動的被災」状態になるということは、光の戦士それぞれのキャパの限界ギリギリか、超えたくらいのところまでシェアさせないと、世界が危険であるということだと思われるのです。
光の皆様にありましても、今波動的に辛い状態にいる人というのは、程度の差はあれ、このような波動の嵐をシェアし、世界大戦を食い止めているのです。
これもカルマや暗黒波動が沸き上がることで消えていく、言わば過程なのでしょうが・・。ことに戦争想念波動からの脱却が厳しくなっておりますので、皆様もぜひ頑張って、「世界平和の祈り」とともに、「戦争想念波動の戻しのマントラ」を励行されることをお勧めします。
アセンションに伴う闇波動の噴き出し、つまり「現れ」の中で、私たちが最も回避したい「現れ」は戦争です。何しろこの「現れ」は浄化に繋がらず、むしろ危機を呼びます。現れる前に食い止められるか、それとも現れを許してしてしまうのか──、それは私たちが、どこまで高位波動を地上に降ろせるかにかかっており、まさに正念場であろうと思います。

民主社会主義は現実的か
今回は状況が状況なので、ここで終わってしまってもいいところなのですが、・・・この状態に陥る前に書きかけていた分があるので、少しだけ予定していた経済のテーマに触れておきたいと思います。
前項に書きましたように、今の野党は、何かにつけ、社会を変革しようと主張しているように見えます。
で、彼らが目指す変革の仕方なんですけど、代表的な野党が、共産主義とか、あるいは社会主義を標榜しているようですね。(かつてのナチス・ドイツの対立政党が共産党だったことを思うと、これもいやな符合です。)
この共産主義とか社会主義なんですが・・
私は上述の理由から、目下のところ野党に入れてますけど、それは上述の条件に合うところに入れてるだけで、別に支持しているわけではありません。というか、以前の記事をお読みの方は、私が「共産主義って何だかな~」と、思ってることはお分りと思います。
それは、この線形波動世界では、共産主義や社会主義が、うまく機能するような仕組みと思えないからです。
といって資本主義が理想だと思ってるわけでもないのですが・・。順を追って掘り下げてみましょう。
ここであらためておさらいしますと、
社会主義とは、社会全体が生み出す生産物や富を、国家つまり政府が管理して、国民に平等に配分する仕組み。共産主義は、国家が介在せずに、全体の生産物を個々の人に必要に応じて配分する仕組み、でしたね。
社会主義はその性質上、独裁政権になりやすかったが、本質的には、独裁と経済上の主義は関係がない。民主主義の社会主義国もあれば、独裁的な資本主義国もある。
また、共産主義は、本来の意味ではこの世界に存在しない。なぜなら、共産主義になる過程として社会主義が生み出されたが、いったん国家が管理してしまうと、その権力を手放すことがないので、国家が生産物や富を管理しない共産主義の社会は、生まれ得ていない。
と、いったところは、押さえておいていただきたい基本だと思います。
一緒くたにするのも何ですので、まず社会主義についてなんですが・・
前の記事をお読みの方は、民主主義の社会主義国家、つまり民主社会主義というものが、気になっているのではと思います。分かり易い例として、スウェーデンを挙げたのでしたね。高度な社会福祉国家と言われる国です。
ただスウェーデンについて、ある書物を見つけたので、本ブログに関連がありそうなら言及するとも申しました。
この本、興味がある方は読んでみるのもいいかもしれません。著者の方は執筆時点でスウェーデン企業で働いており、ヨーロッパでの在住期間も長い方です。スピリチュアル本ではないし書名は書きませんが、昨年、水曜社というところから出た本です。(ネットで検索してみましたが、それで特定できると思います。)
※ここでは中でも記事のテーマに沿った点をピックアップするかたちで、私なりの解釈を加えた書き方をさせていただきます。あくまで一部の点を取り上げてるだけで、文言も原文の通りとは限りませんので、具体的にどんなことが書かれてあるか知りたい方は、ご自身で著書を直接当たってください。
この著書を読む限り、スウェーデンはすでに社会主義の国ではないようです。スウェーデンを理想の国のように憧れてる人には、かなり衝撃的な内容かもしれません。貧富の差は激しく、社会福祉についても、これなら日本の方がずっとマシ、と思えます。医療といい教育といい、日本なら猛批判が起きそうな状況が綴られています。
つまりここでも、この世界では社会主義は機能しにくいという現実がうかがえるわけですね。

「ゆったり」の秘密・・
それと、他にも興味深い点がありましたので、ちょっと触れておこうと思います。話の筋がブレますけど、この著書で当ブログに関連しそうな点について、ここで書いてしまうことにします。
ヨーロッパでは多くの企業で、とてもゆったりとした働き方ができているそうです。たとえばスウェーデン人はコーヒー休憩をよくとり、残業もほとんどしないとか。勤務中にスポーツジムに行ったり、ゲームをすることが可能な企業も多いというのです。残業しないのはいいとしても、日本の感覚ではサボってると思われても仕方ないような働き方ですね。
では彼らが日本人よりも遥かに効率の良い仕事をしてるのかと言えば、とてもそうは思えないのだそう。なぜこんなやり方で成り立っているのかと思ったのが、著書を書くきっかけだったようです。私自身も、その点に一番興味を抱いて読み進めてみたのですが・・。
要因はいくつかあるようですが、たとえば、「ヨーロッパは日本と違って資源が豊富で、また歴史的に植民地から搾取してきたため、資源不足に陥っても創意工夫しようという考えがあまりない」のだそう。
また、「国内で全ての業務を行うわけではなく、低賃金国の労働力を利用」したり、「国内でも外国人労働者を多数雇用」することで、「自分たちの労働条件を変えることなく、生産性を高めている」のだそうです。
その一方で、スウェーデンではリストラも頻繁だというのです。そして解雇された場合、再就職の支援も十分ではないようです。また、景気が悪い時はお隣の国に移って働くこともあるとか。(日本と違い、隣国への出稼ぎはかなり気軽にできる模様です。)
ここからは私の考察となりますが・・・
日本でも、安い労働力を他国に求めることもあるし、また、外国人労働者の雇用も行われています。また逆に、よりよい雇用条件を求めて外国に渡る人達も、それなりにはいます。
ただ、そうした雇用の流動性が、向こうでは比べ物にならないくらい高いのではないでしょうか。だからこそ、「自分たちの労働条件を変えることなく、生産性を高めて」いられる。それも、日本人がうらやむようなゆったりした仕事ぶりですものね。
これがもし本当に流動的で、行ったり来たりがあるなら健全ではあります。あるいは、もしも業務を担わせている先の外国の賃金レベルが、そもそも高くないのであれば、その人達はその人達で、適正な労働条件で仕事をしているのかもしれません。
しかし実際のところ、どうなんでしょうね。未来永劫続くような、いわゆる「持続可能」な図式なのか・・。
そもそもなんですが、私が思ったのは、これって別にスウェーデンに限ったことではないということです。
国であれ組織であれ、規模の大小にかかわらず、ある集団が、ある状態──たとえば高い生産性とか、快適な生活など、その集団が理想とする状態──を、実現または維持しようとしたとき、その目的がその集団内だけで達成できない場合は、目的を阻む原因を、別の何かに吸収させる必要があります。
これは現在だけでなく、この物質地球世界で、歴史的にも見られてきたことです。ちょっとそれで思い出したこともありますので、次回以降でこのことも考察してみたいと思っています。
今回はたまたま入手した著書を引き合いに出したので、話の焦点が錯綜した感がありますが、次回はまた社会主義や共産主義について、引き続き考察したいと思います。
何を考察するにせよ、これはあくまでスピリチュアルのレクチャーです。その理解の為には、あなたの波動が一定以上に高いことが必須です。そしてまた、世界全体として、目下の過酷なタイムラインを、可能な限り穏便にしのぐためにも、「三大ツール」の励行を、忘れずにお続けになることをお勧めします。