アセンションとは地球の次元上昇のこと。あなたをアセンションに導くためのブログです

脳の性差と霊性開発の道筋

男性性と女性性




     


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脳の性差と、転生を通した成熟の道筋、その先にあるもの







高貴なるライトワーカー、光の戦士がた、いかがお過ごしでしょうか。


まずお知らせです。例年行われている「祈りの会」のSOPPが開催されます。今年もネットを通した開催となります。

開催日時:2023年5月21日(日)午前11時〜午後1時半(予定)です。当日になると配信されます。

詳細は以下のサイトにあります。

https://byakko.or.jp/sopp2023info/



参加条件は特になく、どなたでも参加できます。

世界の波動を上昇させ、これから来るであろう荒波を可能な限り穏やかなものに変えるために、多くの人が気持ちを一つにして祈ることは大切です。


皆様にとっても、地球のタイムラインを上げることに貢献する、貴重な機会となるでしょう。強制ではありませんが、ご参加されることをお勧めします。




さて、前回は、神智学にまつわる解説書の引用を通して、その性の概念を考察しました。
この種の概念を一般の人向けに平明かつ正確に伝えるには、本格的な修行者向けのそれとはまた別種の、優れた知性と良識が必要で、今回考察した著書のお二方は、いずれもそれを備えておられます。その意味でも最適な選択ではなかったかと思っております。



今回は首肯しかねる点について書いていくので今一度おことわりしておきますが、今回のテーマのために特にその点だけに着目していますので、ご承知くださいませ。神智学にケチをつけたいとか、そういう意図はありません。現状の社会全体の観念である男性優位思想はスピリチュアル分野でも根強く、これらの著書ではそれを明確に言語化しているので考察しやすいのです。





前回を振り返って、レジュメとなる点を挙げてみようと思いますが、まず挙げたいのは、性概念のテーマから少し離れますが、アセンション・イベントについて問う質問者に対し、著者がそれを言下に否定するやりとりです。彼らは私たち「アセンション組」とは別のタイムラインを行くスピリチュアリストであるということを、鮮やかに伝えてくれる、興味深いやりとりでした。



しかし考えてみますと、ふと疑問も浮かびます。こうした秘教の追究者と比べ、ではアセンションを認識する人の全てが、彼らより高度な波動を有しているのか? という点です。



まず言えるのは、アセンションとは、その周波数との共振によってなされるという、不動の真実があることです。

そう考えますと、アセンションを認識しながらも、ただ期待して待っているだけの人達と、神智学の信徒として日々精進している人達と、どちらがその現実にシフトしやすいかは、一概に断じられない気もいたします。



前述しましたように、地球という惑星での学びは、地球外の次元の魂が大挙してやってくるほど、独特で精緻なものです。神智学はその学びの、スピリチュアルにおける粋の一つかもしれません。

であればこそ、神智学の修行者は、あえてまだこの物質次元にとどまり、アセンションしない人々と共に、彼らを導く道を選んでいる魂かもしれませんし・・・、

あるいは、今後、地球の波動上昇が加速していく中で、どこかの時点で、大きなシフトがあった時に、一足飛びにアセンション・タイムラインと共振してしまうかもしれません。




いずれにしましても、現時点で、アセンションを認識している人達が全員、神智学の信徒よりも波動が高い、とは言い切れないと思いますし、

仮にそうだとしても、その人の器の大きさや波動特性は、波動の高低とは別の話であり、単にアセンションタイムラインを行くかどうかだけで、どちらが優位かを切り分けられるものではないと思います。






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神智学の性の概念についての若干の矛盾






しかしともあれ、当サイトの読者様がたは、高度なアセンション・タイムラインを選択しておられる方々でしょう。特にこのところのレクチャーは、そうでないとついてこられないかもしれません。



繰り返すようですが、高度なタイムラインであればあるほど、一時的には厳しいこともあるかもですが、全体の道筋としてはより苦痛少なくスムーズな、自由自在へと向かう道です。



といったことも踏まえて、レクチャーを続けたいと思います。

今回は、本稿の核心に入っていくに当たって、「外堀を埋める」ための大事な考察となります。



まず、前回記事でまとめたレジュメを今一度振り返ってみましょう。



・女性性=物質的エネルギー/男性性=霊的エネルギー 

・この二つはどちらも欠かせない要素で、これらが融合してキリストへと昇華する

・人は転生を繰り返し男性にも女性にもなるが、覚者となる最後の転生での肉体は男性。女性の肉体で転生することがあるとしても、三百五十年~四百年後


私が首肯しかねる点はいくつかあるのですが・・・一つは、男性的なエネルギーと女性的なエネルギーという切り分けの根拠がはっきりしない点です。


それぞれの性のエネルギーが、男女それぞれの肉体的相違となって現れるということですよね。
しかしそれは、男性の方が力が強いとか筋肉がつきやすいとかいった特徴ではないはずです。もしそうなら、男性の方がエネルギーのタイプとして物質的に見えるし、より霊的であるとは言えません。



それともう一つは、女性的エネルギーと男性的エネルギーはどちらも重要で、それらが合わさってキリスト的エネルギーに昇華する、という考えに立つなら、なぜ男性が先行して覚者となることになるのか、理屈に合わない点です。


というのも、この考えは、一人の人間が、転生の過程で男性になったり女性になったりして、それぞれの性の役割を果たす経験をして、男女を兼備した状態に昇華する、という理屈に思えるのですが・・、だったらなぜ、女性だけが三~四世紀分も余計にかかることになるのでしょう?


同じ人間がどちらの性も経験するのですから、その人が最終的に十分な経験を積めばよいということになります。転生の経験は人それぞれですから、最後の性が男性に生まれなければならないというのは理屈が通りません。






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男性でも女性でも、魂の成熟度はそれぞれ






B・クレームという方は、前出の著書の引用の中で、女性解放運動を先導している女性たちについて、若干辟易しているような発言をしています。

その部分だけ再掲しますと、
「“転生の経験を通して何度も何度も、自分たち自身が男であったことを忘れてしまい、男性に対して、いくらか神経症的憎悪を持つ女たちに指導されているために、いくらか軌道を外れています。理解できることではありますが、彼女たちは、自分たちの困難や自由のなさを、完全に男のせいにしています。”」というのがそのくだりですが・・、

私なりに‘翻訳’させてもらうと、これは「何かにつけ男たちに批判を浴びせる自分たちだって、過去世では自分自身が男だったではないか?」という内心が表れている感じです。また、さらに想像するなら、クレーム氏自身も、過去世で女性に生まれ、家事育児などの役割を担ってきた経験があるのだろうな、とも思います。



実際問題、過去世で男性だった人、それも男女差別主義者だった人が、女性に生まれたことで、生き辛さや理不尽さに怒りを覚えている、という例もあると思います。普通、過去世でどうだったかなんて覚えていませんしね。
つまり、フェミの急先鋒になって男性社会の全てを糾弾するタイプの人の中には、もしかしたら過去世で男性だった人もいるかもしれないわけですね。



また実のところ、男尊女卑思想は男性だけにあったのではありません。古い封建的な時代には、女性にも男女差別主義者は沢山いたのです。差別社会で長年生きるうちに、そういう思想に染まってしまったのだろうと思いますが・・・。彼女たちは、女性は男性に常に忠実に支えるもの、女性は守ってもらうもの、と考えていました。

こういうタイプの人が、ひとたび男性に生まれると、これまでは女性として男性にかしずいていたので、ここぞとばかり女性に対して上から目になる人もいるでしょう。



こうしたパターンから気づかされるのは、男性に生まれるにせよ女性に生まれるにせよ、どちらの性で生まれたらそれだけ霊性が高まっている、とは言えないことです。どちらも魂の経験がまだ浅く、幼い状態だ、という点で共通しています。


男女どちらの立場に対しても公平なバランスのいい観念を持ち、霊性も高まるまでになるには、どちらの性も相応に、十分に経験する必要があるのだろうと思います。





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性の概念における‘ボタンの掛け違い’感






以上の状況からは、神智学で言う男性のエネルギーが霊的で、しかもそれが肉体的にも男性になって現れるというのも、全く見えてきません。もしそれが事実なら、三~四世紀分もアドバンテージがあるほど男性の肉体が有利だということですから、物質社会でも男性の方が圧倒的に霊性レベルで優れている人が多いことになります。
しかし実態はそうではありません。スピリチュアルに目覚めている人の割合は、むしろ女性の方が多いのではないでしょうか。



こう書くと、「じゃああなたは、男性よりも女性の方が霊性が高いと言いたいのか?」とお思いの方もいるかもですが、そうは思っておりません。




神智学に見られる、「三位一体」「エネルギー」「相」といった概念──これらが、全て間違っているとは思わないのですが、ただ、どこかにボタンの掛け違いがあるように思うのです。


それは、それらの概念を男性性/女性性と結びつける際、ひいては物質世界的な男女の役割分担にまで及ぶ関連付けに、ある種の先入観、固定観念があるように思うからです。
イメージとしては、ある思考回路を、別の思考回路と結びつけるに当たって、不適切な回路同士を短絡してしまっているように感じるということです。






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物質社会での、脳の性差の研究






前回の文末で少し触れましたが、私は霊性開発において男女差があるとしたら、脳の働き方の違いだと思っています。


そこでまずは物質世界的な観点から脳の性差を見てみましょう。


脳の性差については、色々と研究がなされているのですが、今もって結論は出ていません。全く性差はないとする研究者もいる一方、何らかの差異はあると考える研究者もいるようです。



脳の性差でよく話題になるのは、脳梁の大きさが男女で違いがあるという話です。皆様も聞いた覚えがあるかもですが・・右脳と左脳を橋渡しする器官である脳梁が、女性の方が男性より太いという話。今でもネットでは、尾ひれがついたものも含め、脳梁の差で男女差を語る話が流布しています。



が、これは専門家の間では否定されているそうです。

この話の出所となった論文は、40年以上前の、サンプル数わずか男性9人・女性5人の解剖データによるものとのこと。
MRIによる最新のデータでは、脳梁の大きさに男女差は認められないことが分かっているそうです。

また、同じくMRIを用いた研究で、脳の他の各部位も、それぞれの大きさに性別による差は認められなかったという報告もあります。ちなみに2015年の調査でサンプル数は計1600人以上、測定部位は116箇所と、上記の論文を遥かに超えるサンプル数と測定対象だったとのことです。



かつて科学界では、「男性の方が女性より体が大きく、脳も男性の方が女性のそれより大きい。だから男性の頭脳の方が優れている」という「常識」がまかり通っていたそうです。大きさや太さで能力をはかるのは、その延長線上にある発想のような気もします。

ちなみに二十世紀の天才と呼ばれたアインシュタインの脳は平均より軽かったそうですし、その他の研究でも、脳の質量で知能を判断するのは科学的とは言えないことが分かっています。


アインシュタインといえば、彼の脳は詳しく調べられていて、脳梁についても分析されています。彼の脳梁は発達していて左右の脳のつながりが強かったそうですよ。つまり「女性は脳梁が太い」説を信じている人からすると、彼の脳は女性的だった、ということになりますね。



また、よく言われる「男性の方が空間認知能力が高い。だから地図を読むのは男性の方が得意」という通説も、現在では否定されています。男女の社会的格差が少ない国ほど、空間認知能力にも差がないことが、最新の研究でわかっているそうです。

一般に男性の方が女性よりも競争を好むという通説も、その社会の社会構造によっては逆転していることが知られていて、こちらも性差が認められる根拠になっていません。



また、前回記事で「1977年当時は家事・育児は女性の役割だったかもしれないが」と書きましたが、これも、必ずしも伝統的な役割とは言えないようです。

古代の狩猟採集社会における男女の役割について、「男性が狩りをし、女性は採集と育児をしていた」というのが従来の通説でした。しかし最新の調査では、米大陸全域の大型動物ハンターの30~50%が女性だった可能性が高いことがわかったそうです。他にも、中世ヨーロッパで活躍したバイキングの戦士は男性とは限らず、女性戦士もいたことも近年判明したそうです。

つまり近年まで伝統的とされてきたジェンダーの役割は、歴史的には比較的新しい、一過性の観念かもしれず、必ずしも伝統的ではなかったことになります。



こうした男女の役割分担に対する思い込みを助長しているとして、近年専門家から批判視されているのが、「ニューロセクシズム」と呼ばれる概念です。


これは直訳すれば「神経性差別」で、そもそも科学的根拠が薄弱なものも含め、神経学や脳科学を持ちだして、男女の役割を固定化させようとする思考です。


これが評判が悪いのは、性差別主義者に巧妙なエクスキューズを与えるからです。「男性は家事が苦手」「女性は文系が得意」などといった、従来からある「男女の役割」に、あたかも生物学的に動がしがたい裏付けがあるかのような観念を人々に植え付けるものとして、懸念されているのです。





上述のように、脳の性差については、専門家による調査が繰り返されても、今もって結論が出ていません。


それと同時に、調べれば調べるほど見えてくるのは、脳の差は個人差の方が性差よりも遥かに大きいということです。





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脳の能力ではなく、働き方というアプローチ






さて、脳の性差について、物質次元社会での認識の現状を書き出してみましたが・・、


ここまでお読みの方は、脳の性差について見方が変わったかもしれませんし、私が脳には性差がないと思っているのだろう、と感じたかもしれません。



ですが私自身は、脳には性差があると思っているのです。


ただ、これまで見てきたようなものとは少しアプローチが違います。そしてそのアプローチでは、かなりな割合で経験知によるしかないのではないかと思っています。



ただ、ヒントになる報告もあります。前項では省きましたが、脳の働き方についての以下のような話です。


たとえばある実験によると、話をしている時、男性の脳は左脳のごく一部の領域しか活性化していないのに対し、女性は左右の脳の両方、それもかなり広範囲な領域を使っているそうです。
また、数学の問題を解くときも、男性は左脳だけを、女性は右脳左脳の両方を使っているとのこと。

私が見たネット情報では、これらの実験が、どの程度のサンプル数、あるいは民族で行われたのかはわかりませんが、個人的には首肯できる報告です。



一方で気に留まったのは、特に上記の、話をしているときの実験結果について、発信者の方が、「女性がいかにお喋りかお分りいただけると思う」などとコメントを添えていることです。

現実には、お喋り好きな男性は沢山いますよね。はじめに固定観念ありきで、実験結果をそれに結びつけている感じです。これもニューロセクシズムの一例でしょう。
考えてみると、神智学での「不適切な短絡」も、同じパターンなのかもしれません。




ともあれ、知能指数とか認識力とか言った脳の能力とは別の、脳の「働き方」という切り口で見ると、性差が見えてくるかもしれません。






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演繹的な脳と帰納的な脳






ここからは私自身の見解になるので、必ずしも物質世界的なエビデンスがある話ではないのですが・・・、ただ、長年の観察や経験知によって、私なりに導きだした知見です。

かなり断定的と思われるような書き方もさせていただきますが、長い間、女性と男性の脳の働きに関して考察し、自分自身の脳の働き方をも俯瞰し、観察してきたうえでの知見とご理解ください。





前項で挙げた、男性/女性で違う「脳の働き方」の話は、サンプル数などエビデンスの程度はともかく、経験的にも説得力がある話です。
何かの作業をする際に、女性は脳の各部位を広範囲に働かせ、男性は限定的な部位しか働かない、という点です。


この点こそが、脳の性差を明確に定義づけるキモなのではないかと、私は考えています。




私の好きな映画監督に、キャスリン・ビグローという人がいます。彼女が元夫であるジェームズ・キャメロンと賞レースを争い、結果としてアカデミー賞6部門制覇という快挙を成し遂げた『ハート・ロッカー』は、同氏のキャリアの記念碑的作品であると同時に、女性らしからぬ骨太な題材や描写ということでも注目されました。

私自身も、彼女のファンになった印象深い作品ですが、観た当初から、女性らしくないとか男性的だとか、思ったことはありません。



今ウィキを観ると、本作は軍経験者には不評のようですが、F・コッポラの『地獄の黙示録』でも、ベトナム経験者の人が「現実とまるで違う」と言っているのを見ましたし、この種の苦言は珍しくないのかもしれません。




ここで着目したいのはその点ではなくて、彼女が映画作品を構築する手法です。
彼女はリアルではなく、リアリティを目指しているのだと思います。リアリティとは、リアルとは似て非なるもので、観客が現実感を覚える迫真性のことです。そのためには、ただ事実を並べるだけでは意味がなく、観客がリアルだと感じるようなエピソードやシーンを選び取り、創造し、ドラマとして構築していかなければなりません。

これを実現するに当たって彼女は、一つ一つのシーンやエピソードを、迫真性を感じられるように、細やかな演出を通して積み重ねていく、という作業を通して作品を構築しています。これは女性的な手法だと私は思います。


これに対して、男性的手法とは、全体的な枠組みを構築して細部へと至ります。同じタイプの作品でも、構築の仕方が逆方向です。



つまり女性的アプローチは演繹的で、男性的なそれは帰納的と言えます。建築に例えるなら、前者はレンガ造り、後者は鉄骨造といった感じです。






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脳の性差と個々人の性認識とは別の話






このような違いが生じるのは、女性脳が、何かの作業をするに当たって脳の全体を使うのに対し、男性脳では限定的な一部を働かせる、ということに起因していると考えられます。




つまり女性的な脳では、特定の作業についても、常に脳の各部位間で情報交流を行い、バランスを取りながら行っています。

それに対して男性的な脳では、特定の作業に対して特定の部位だけを使い、他の部位は殆ど休んでいます。全体像は掴んだうえで、必要な部位だけを集中して稼働させるイメージです。


男性脳のこの特徴は、ある点で有利です。何かの作業をするにあたり、他の部位からの情報を遮断された状態で行うため、そのことに関してのみ徹底して追究することができ易いわけです。




なお、これは脳の特徴なので、個々人の性のアイデンティティ、性認識とは別の話です。


LGBTQに属する人、たとえばオネエと呼ばれる人で、ご自身も女性のようにふるまっている人でも、脳が男性脳なら、ここでの考察上では男性と看做します。



オネエタレントとして活躍している方の一人に、美のカリスマとしても有名な方がいます。普段はリラックスしているのでしょうが、美しさを誇る時にはそのメイクやファッションなど一分の隙もありません。

以前「お宅訪問」する番組を見ましたが、インテリアや装飾品など、その美的センスには徹底した一貫性とこだわりがあるのが感じられました。

この方が勧める美容用品は、その説明がいかにもエビデンスを感じさせる説得力があり、それもあってかファンの人々からの絶大な信頼を集めているようです。



こうした徹底性は、男性脳において顕著に表れやすいのではないでしょうか。
ご本人の性認識と、脳の性差とはまた別の話であることを表している一例だと思います。



たとえば何かの熱狂的コレクターにしても、男性の方が多いという話です。
何か一つのことについて、他の部位からの情報を遮断してそれだけに集中するというのは、男性脳に強くみられる特徴だと思います。



といった次第で私は、先に挙げた映画監督が、骨太な題材をとっていても「女性的だ」と思うし、その人の性認識が女性であっても、その脳のパターンが男性脳だと思えば、「男性的だ」という印象を持つのです。






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スピリチュアル的な性を、肉体の性に結びつけるとき






少し整理してみましょう。性差という観点から見た脳が持つパターン、アプローチ法の違いは、

女性は、脳の各部位間の情報交流によってバランスを取りつつ機能させ、

男性は、限定的な部位のみを活性化して機能させる

という、ほぼ真逆のベクトルを持つようです。



女性は広範囲に隅々まで気が回り、神経が細やかだと言われますが、男性はその人が得意とする特定のことに関しては女性よりも緻密で、細部まで神経を行き届かせるように思います。




神智学で「相」とか「エネルギー」とか呼ぶ概念を、性に結びつけるとき、

たとえば、「男性的エネルギー」と「女性的エネルギー」があるとして、それが肉体として現れるというのなら、こうした脳の特徴と結びつくはずです。


そうでなく、男性/女性に対する固定観念や先入観に基づいて結びつけるのでは、あまり意味がありません。




卑近な例も挙げておきましょう。この脳の特徴に照らしたとき、男性は家事に向かないでしょうか。また、女性のように細かいことはできないでしょうか?


例えば清掃なら清掃会社、料理ならレストランなど、有償の業務として行う場合はどうでしょう。男性にはとても無理な仕事でしょうか。

ひとたび「仕事」と認識した場合は、きちんとこなそうとするのではないでしょうか。また、仕事の進め方にしても、自分のやり方で適当にやることはせず、先輩や同僚のやり方や手順とすり合わせて行う必要があります。女性よりも徹底して細部まで神経の行き届いた仕事ぶりを見せるかもしれません。


つまり男性が家事ができないというなら、それはできないのではなく、そもそも「仕事」として認識していないから、と考えられます。

同様に従来、男性の仕事と考えられてきた仕事も、女性には不向きとも限りません。



つまり、ほとんどの仕事は、その仕事に対するアプローチ法に性差はあるかもしれないが、その仕事に向くか向かないかは性差ではなく、個人差の要因が大きいと考えられます。




しかし、話はここで終わりません。


このアプローチは、性別によって方向性は真逆でも、やがてある目標領域に到達します。







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脳が最終的に結実させるもの






私が印象に残っているのは、TVである専門家の方が言った、「知能が高くなるほど男女間で差が無くなってくる」という言葉です。どの程度のデータに基づいているのかは分かりませんが、私的にはうなずける話です。




たとえば前出のアインシュタインですが・・・彼の脳を分析すると、脳梁が発達しているのでしたね。この報告によると、左右の脳の特定の部分で広範囲に繋がっていることが判明したそうです。

男性の脳は一般的に、ある作業に関して限定した部位しか活性化せず、それ以外の部位は休止しています。余計な情報が入らない分、その作業に没頭し、集中できるという利点もあります。

この点は恐らくアインシュタインの脳でも同じではないかと思われます。ところが彼は、一般の人が結びつかない脳の部位の間で、情報交流が行われていた可能性が高い。つまり一般的には「余計」なはずの脳の部位が活性化し、関連づけられることで、普通では思いもよらないような新しい概念が編み出されたとも考えられるわけですね。



脳の発達の仕方は個々人それぞれです。アインシュタインの場合は特にそれがユニークだったのかもしれません。彼の脳は物理学分野に特化した進化をして、一般的な科学者の脳では繋がっていない部位が繋がり活性化して、脳内でブレークスルーを果たしていったのではないでしょうか。




アインシュタインの道筋はかなりユニークで型破りですが・・・


私は脳の成熟は、このようにしてなされていくのではないかと考えています。




女性の脳のアプローチは建築に例えるならレンガ造り、男性の場合は鉄骨造だと申しました。

そうやって構築されていくうち、やがて建物が完成します。しかしさらに完成度を高めていくこともできます。

現実の建築物がそうだというのではありませんが・・・レンガ造りを鉄骨で覆ったり鉄筋を入れることもできます。逆に、鉄骨造から鉄筋コンクリート造にすることもできます。アプローチは違っても、最終的には似た構造に近づいていきます。


つまり元々のアプローチとして一方は演繹的であり、一方は帰納的だったとしても、一定のフェーズまで来ると方向を逆転させる──成熟するほどに両者の違いは希薄になっていきます。

(※念のためおことわりしておきますと、ここでもあくまで脳の性の話ですので、女性だけど男まさりであるとか、LGBTQであるとか、そういうことは全く関係ありません。)



男性/女性、それぞれアプローチの違う脳を転生の経験の中で持つことは、脳の成熟を高めていくという観点だけから見ても速やか且つ効果的で、理にかなっていると思います。



簡単に言えばこういうことです。


頭脳の能力は、男性脳であれば、成熟するほどに女性脳の特徴をも持つようになり、

女性脳であれば、成熟するほどに男性脳の特徴をも持つようになる





そしてそれは霊性開発においても言えることです。女性性/男性性が肉体に現れ、それによって霊性が高まっていくというなら、それぞれのジェンダーの社会的な役割というステレオタイプな観念より、脳のアプローチという観点に立つのが最適解ではないでしょうか。



さて、ここまで、かなり思考メソッドとしての足場を固めてまいりましたが、いかがでしょうか。次回はもう少し踏み込んだ考察に入っていきたいと思います。











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