

宇宙の根本原理 それは二大原理である
高貴なるライトワーカー、光の戦士がた、いかがお過ごしでしょうか。
この記事は、同じテーマでの一連の続き記事ですので、記事中「本稿」という場合は、これまでの記事も含みます。お読みでないかたはまだ読んでない回の記事からお読みください。
前回まで、神智学における性の概念を考察し、いくつかの首肯しかねる点を、特に物質世界に例をとって挙げてまいりました。
今回からは、私自身が認識している概念の話に入っていきたいと思いますが・・・、
その前に、前回のおさらいも兼ね、大事な点をまとめておきたいと思います。
まずご安心いただきたいのは、これをお読みのあなたが男性であれ女性であれ、あなたの霊性におけるフェーズとは、関係がないということです。もちろんLGBTQであっても関係ありません。これは脳のフェーズの話であって、その人の性認識とは別の話です。
脳が進化するにつれ、女性脳は男性脳の要素を、男性脳は女性脳の要素を取り入れてくると申しました。
が、だからといって、女性が男まさりになることでも、男性が女性的な振る舞いをするようになることでもありません。また、中性的になることでもありません。女性的でも男性的でも、中性的でも両性具有的でも、脳における性差とは無関係なことは、これまで見てきた通りです。
前回見た通り、アインシュタインの脳はかなり進化していて、女性脳の特質を備えるようになっていたと考えられます。が、だからといってアインシュタインが女性的な男性だったかというと、全くそんなことはありません。
しかし彼がそのように脳を進化できたのも、前世で女性だった経験があるからかもしれません。
男性脳は、他の情報を遮断して一つのことに集中できるという点で、有利な面があります。
しかしそれは、一つのことを行うのに、脳がそのことに対して必要だと認識している部位だけを活性化させている、ということです。言い換えるなら、他の部位は不必要と認識しているわけです。
だとすると、他の科学者の脳では不必要とされ不活性な領域を、アインシュタインは活性化させていたわけです。そして恐らくそれが、画期的な理論を編み出すことにも繋がったと考えられます。
女性脳というのは、必要/不必要の区別がさほどなく、同時にさまざまな脳の部位を活性化させています。アインシュタインも例に漏れず、過去世で女性だったときは、そうだったことでしょう。この経験が、通常の男性脳では活性化しづらい脳の部位を活性化させることに繋がったのかもしれません。
これは逆のことも言えて、女性が男性的な脳の特質を持てるようになるのも、前世で男性だった経験に基づいているでしょう。
このように男性が女性脳の特質を、女性が男性脳の特質を持つようになるのは、幾多の転生を通して、脳が学習していくからだと考えられます。
だったら最初から両性に生まれればいいのに、と思うかもしれませんが、それぞれの性に生まれることで、それぞれの特質が伸びていくのでしょう。それに後述する宇宙の原理的にも、理に叶っているのだと思います。
アインシュタインのような天才的な人物だけでなく、現代は、男性脳/女性脳の明確な差がない、こうしたタイプの人が増えてきているようです。
それは、生え抜きの地球人でも転生の経験が多い人、そしてスターシード系の人が増えているからだと考えられます。
私の印象では、脳の性差について必要以上にこだわる人は、まだ転生の経験が十分にない生え抜きの地球人か、それに感化された人(スターシードも含む)ではないかと思います。
アセンションしない組の人々は、まだ遠大な時間をこの次元で過ごすつもりのご様子なので、今後も転生を繰り返していくのでしょう。
しかし私たちアセンション組は、今生がこの物質世界における最後の転生でしょう。なので、今どちらの性であるかが、霊性を左右するかのように考える必要はありません。私たちはもう十分に学習し、性別がアセンションに関係しないフェーズに到達しています。
言い換えるなら、もしもあなたが、それでもまだ性別にこだわり、前の記事で見てきたような性概念に共感するようなら、アセンション組としては少々危ういかもしれません。認識を切り替えていく必要があるのではと思います。

東洋思想における宇宙観
さて、ここまでの考察、皆様どのようにお感じになったでしょうか。
この部分はもう少し簡単に切り上げるつもりでしたが、デリケートな問題だけに誤解が生じそうな危惧も感じましたので、少し行を割いてさまざまな角度から考察してみたつもりです。
私自身、物質地球社会での性差別はもちろん認識してはいましたが、スピリチュアルにおいても相当根深いと知ったのは比較的最近のことです。
そもそも肉体や性別など、かりそめの姿でしかないことを認識しているはずのスピリチュアルで、性差別があること自体、にわかには信じがたい思いが当初はしていました。そんな人は、いたとしてもスピリチュアルとは名ばかりの、迷信深い人達だろうと思っていたのです。
ですので、あまたのスピリチュアリストを惹きつける壮大な信念体系においてすら、それが見られることに、この惑星での性差別意識が深く根を張っているのを見る思いがいたしました。
彼らの持つ男性優位意識を、彼ら自身は認識せず、その裏付けとなるセオリーがあると考えているようです。ですが私にはむしろ、優越意識が前提にありきの、つまり思考バイアスがかかっていることによって、(ことに性にまつわる概念で)本来の宇宙の基本的原理と乖離しているような印象を受けます。
それではその、私自身が‘本来の’と呼ぶ宇宙の基本原理について、お話してまいりましょう。お信じになるならないはご自由ですが──私自身は事実と認識しております。
それは主として東洋思想に学んだものです。
もっとも東洋思想はその歴史も含め、気の遠くなるほど壮大かつ複雑なもので、長きにわたり、世界中の専門家によって研究されています。そうした学識をここで考察するつもりはありません。
これから書くことは、恐らく学術的な研究者の方々が読んだら異論が出てくることでしょう。
これはアセンション・プレーヤーとしての知見であり、学識とは違います。プレーヤーとして追究するのは勝つための知見です。
時としてそうでない知識がプレイの邪魔になることもありますしね。スポーツで言えば、スポーツ工学を研究する人と、アスリートの違いです。
なので、東洋思想の宇宙観に基づくと同時に、私自身の実践上の経験知を織り込んでたどり着いた知見となる点、おことわりしておきます。
と、申しましても、学究の徒が学ぶ難解なそれと比べて、実践上の知見が平易とも限らないのがスピリチュアルです。理解の度合いがその人の霊性フェーズと相関するからです。

‘針の目を通る’この時期、思考メソッドを究める
本稿はそもそも、2012年に私がブログを開始して以来、全く語ってこなかったことを語るつもりで書いております。長くお付き合いくださっている常連の読者様でも初見の内容となります。
本稿に限らず、私はあるテーマについて、色々な角度から考察することで、皆様の理解の度を深めるようにしています。スピリチュアル・レクチャーでは大事なことなのです。なので、全くの初見の内容から、必要があれば、いくつかの知見を追加して再考察するなど、段階を踏んで進んでいくことをしてまいりました。
ただ、この宇宙観については、私はこれまでも、何度か書くことを試みようとしてきたのです。ですが、これまで書かなかったのは、書こうとしても抵抗波動がすさまじくて書けなかったからです。
というのは、それが理解できるのなら、皆様の波動を劇的に上昇させるであろう考察だからでしょう。「だったら早く書いてくれればよかったのに」と思うかもですが、書いたとしても良い結果は生まなかったでしょう。
霊性開発において、フェーズを上げる時というのは、抵抗波動が生じる時でもあります。世界の波動フェーズがあまりに低い段階では、上昇するどころか、抵抗波動が大きすぎて、全く頭に入ってこないと思います。
つまり今書けるというのは、それだけ世界の波動が上がってきたということでしょう。
それでいて、この上昇についてこられない人も続出する、際立った時にあります。バシャールさん風に言えば、「針の目を通る時」です。
だからこそ、私も現時点で可能な限りのものを提供する時なのだろうと思います。それを生かせるかどうかは、もちろんご本人次第ではありますが、もしもあなたが本当の意味で理解でき、それに基づいた実践ができるのであれば、劇的にあなたのフェーズを変えるでしょう。
前から申しておりますように、思考メソッドは、ツールと同様に波動を上げるためのものですので、座学ではなく、理解すること自体も実践です。
この宇宙観の概説は、ほぼ一項で終わるごく短いものですが、これまでのレクチャーの中でも群を抜いて重要です。「三大ツール」等のツールについて、初めて行う時は一人静かなところで、と申しましたが、この解説も同様に、集中できる環境でお読みになった方がいいかもしれません。
私も何だか長々前置きしたりして、四角張ってますけど・・書くというより書かせていただくといった気分で・・うまく説明できるか分かりませんが、できるだけ分かり易く書いてみるつもりです。

宇宙の根本原理、システムとしての性
私が性の概念についてこれほど深く考察を試みるのは、それがスピリチュアルにおいても差別と結びついているから、というだけではありません。性とは、宇宙の基本原理に根差すものだからです。
性概念というと、どうしても肉体の女性/男性を思い浮かべてしまいがちです。仏や天使、如来などには性別がないと言われますが、彼らのイメージ、姿があります。(実際に彼らに姿があるかと言われれば、姿がある段階の魂もあれば、本来姿はないが、観たい人のために姿をとって現れてくれる場合もあります。)
スピリチュアルでも、そうした「形あるもの」への概念から、霊的な概念を発展させている例が多いように思います。
しかし実際には、肉体にせよ仏にせよ天使にせよ、それらが先にあったわけではなく、その背後にある原理から発露してフィギュア化した表現のひとしずくです。それを元に宇宙の原理を考えれば、本来と違う概念に行き着くことがあっても不思議ではありません。
東洋思想における宇宙の原理といえば、女性原理/男性原理というものになります。東洋というと、中国の陰陽思想を思い浮かべる方もいるかもしれませんが、それとは少し違います。インドもしくはその周辺が発祥の宇宙観でしょう。
それによると、宇宙の根本原理とは、二大原理であると言います。
それは女性原理と男性原理であり、その融合の妙によって森羅万象のことごとくが紡ぎ出されます。妙は理(ことわり)によって生じ、理は男性原理にあり、宇宙のすべてのすべてが、男性原理と女性原理の融合によって創出されます。
ただし女性原理と男性原理とは、対等の位置づけにあるのではありません。
女性原理とは、宇宙を満たすもの、それ以外は何ひとつないという、愛という成分に満ちた状態をいいます。
ここでいう愛とは、私たちがイメージする愛とは少し違います。
神智学ではロゴスの一つとして愛を定義していますが、慈愛とか博愛といった意味合いで、一般的に愛といえばそうでょう。ですがこの場合の愛はそれではありません。色で言えば、慈愛という愛はピンクのイメージかもしれません。宇宙の本質である愛は、金または白でしょう。
宇宙の本来的なありようそのものを指す愛は、そうでなければ宇宙ではないという意味で、宇宙唯一の実存と呼んでもいいものです。よって宇宙に愛でできていないものなど、何一つ存在しません。つまり愛とは宇宙の構成要素の全てです。
この愛という状態は、宇宙の厳格な、原初的な性質そのものでもあります。
ではその、愛の性質とは何かですが、無限の供給というポテンシャルを秘めた状態です。僅かに触れるだけで、ひとしずくの想いだけで、それは発露します。
この無限なる供給を背後(もまた宇宙ですが)に持ち、おのおのの宇宙が創造されます。この時の、宇宙を描き出す理(ことわり)を男性原理と呼びます。
つまりコンピュータに例えるなら、女性原理が機体だとすると、男性原理はオペレーティングシステム(OS)です。実際は少し違いますし乱暴な表現かもしれませんが・・イメージとしてはそんな感じです。
で、原理が融合するという場合ですが、女性原理は宇宙の原初的状態そのものです。男性原理はこれに宇宙を記述します。つまり、宇宙はコードで記述されます。(私の考えでは、「はじめに言葉ありき」の言葉とは、コードのことを指すのではないかという気がします。)
しかしそれは、単なる記述というより、互いに侵襲的に行われるようで、そこに融合の妙というものが生じるようです。その妙のことごとくが創造となり、すなわち宇宙のあらゆる事象を紡ぎ出し、織り成します。私もまだ完全にイメージしきれてはいないのですが・・・ともあれそれは、宇宙を創生する膨大なエネルギー発露のメカニズムとして、核融合反応に似たものと言えそうです。ただしそこに理があるために、エネルギーが即座に独自の世界(宇宙)を創出するイメージです。
私たちの宇宙は、あるとき、ビッグバンによって生じたとされていますが、それを創造する理がすでにあって、それを創造させる瞬間には、もはやいささかの逡巡もなく、宇宙を発露させるのでしょう。瞬間といってもこの次元のような時間軸ではなく、発露に近いほど濃密な、宇宙のすべてが詰まっている、種子というか卵から生まれ出でるイメージで。
私の想像では、それは恐らく背後にある、宇宙の原初である宇宙、その原初に最も近い存在があって、それらの存在がたを創造主と呼ぶのでしょう。それぞれの宇宙にはそれぞれの創造主が、宇宙の最も深遠な、最も原初に近いものとして存在し、それぞれの理において宇宙を発露させるということでしょう。(あるいはまた、それら創造主を創造する、元となる創造主がおられるのかもしれません)
ちなみに、この宇宙の創生は、創造主が宇宙となる対象を造形するというよりは、自らを発露させる、ということのようです。
つまり創造主は女性原理に男性原理を融合させ、創造主自らを彫塑(というにはダイナミックですが)するかのように宇宙を創出させる、というイメージです。
純潔なる愛である創造主は、当然ながら私たちを愛していますが、創造主が描く宇宙のすべてが自己からの発露であるとするなら、それは博愛というよりは自己愛に近いものです。だからこそ一片の乖離も限界もありません。創造主が存在し続ける限り私たちを愛し続けます。そしてその存在は存在しなくなることはないので、愛もまた消えることはありません。
少し整理しましょう。さきほどコンピュータにおける機体とOSのようなもの、と申しましたが、一つ大きな違いもあります。機体とOSはそれぞれ別のものですが、女性原理が宇宙そのものである以上、男性原理も女性原理に含まれます。つまり両者は元々は一つなので、別々のものではありません。
女性原理から男性原理が発露し、その男性原理と女性原理の融合によって、宇宙が創造されます。元は何ひとつ分かれてはいず、また分かち難いにもかかわらず、分かれたかのように発露し、そしてあらためて、それぞれの理を持った男性原理が、女性原理と初めて出会ったかのように融合します。そして森羅万象ことごとくを描き出すのです。
かくして、創造主の呼吸のように夢のように、宇宙は創出されます。尊師サティア・サイババも、宇宙は神の見ている夢だと言っておられる。であるからには、いつか夢は覚め、呼吸のようにいずれは収縮し、原初に還るのかもしれません。が、またいつか呼吸のように、あらたな宇宙が紡ぎ出されるのかもしれません。
以上、私自身の知見も織り交ぜさせていただきましたし、まだ分からない点や齟齬もあるかもしれませんが、大筋としては説明になっているかと思います。

私たちが行くのは、神に回帰あるいは昇格する道
いかがでしょうか。いにしえの聖者が描き出した東洋の宇宙観、どのような思いを抱かれたでしょうか?
実に、何と申しますか、そのシンプルさと絶妙さは、まさに驚異であり、宇宙の根本原理にふさわしいその厳粛さに、圧倒される思いがいたします。と同時に、まだ科学や宗教といった分野分けすらなされていなかった古代に、宇宙の原理を洞観していた、当時の覚者にも敬服するばかりです。
もう少し補足しましょう。まず気づいていただきたいのは、前の記事で出てきた性概念の用語が、一切出てこないことです。
エネルギーに男性的エネルギーも女性的エネルギーもない。エネルギーに性別はなく、強いて言えば女性性の側にある。エネルギーも、力も、すべて女性性にあるが、それが宇宙唯一なので、性別のような区分はない。
男性が霊で女性が物質という区分もない。そもそもこの物質世界自体が私たちが描き出している幻影であると、過去記事でも解説してまいりましたので、すでに気づいていた方もいるでしょう。(上述の「宇宙はコードで記述される」という件も、そのあたりの記事でお話ししているかと思います。)
宇宙唯一の力、エネルギーは、何物でもなく、何物でもある。そこに区分や切り分けができるのは、それを何らかに定義づけし、具体的に顕現させるもの、創造性なのです。
それを最も厳格に、完璧に、そして宇宙の原初に根差すレベルの力で描き出している存在が、創造主ということになります。
その深遠なる力は、しかし距離的にどこか遠くにあるわけではありません。あらゆるところにあるのです。これをユビキタス(偏在)と言います。
私たちは、おのおのの霊性レベルに応じた、言わばフィルターを通して、それに触れています。霊性レベルが下層にあるほど多くのフィルターがあることになります。つまり霊性を向上させるとは、神の深奥と私たちを隔てているフィルターを、一つ一つはぎとっていくことだとも言えますね。力が私たちを隔てているのではありません。私たちが力と自らを隔てているのです。
創造主が私たちを創ったのではなく、創造主自らを彫塑したと申しました。ちなみに‘彫塑’という言葉を使ったのは、この宇宙観に基づく古代の彫刻作品を見た記憶からです。一つの象牙という均一な素材から削り出すかたちで世界を表現しています。宇宙が元々同じものでできていることを表しているものです。
つまり私たちは全て、本来は同じものでできています。創造主が神であるからには、私たちも神なのです。私たちは修業して神になるのではなく、神に回帰するのだという、スピリチュアルの基本概念も、この宇宙観は表しています。
もちろん、当レクチャーについてきて下さっている読者の皆様は、単に回帰する道にあるのではありません。この過酷な物質地球での経験を経て、宇宙の深奥と私たちを隔てるフィルターを取り除きつつ進む道──。どこまで上限を書き換え、どこまで近づけるかはあなた次第の、回帰あるいは昇格の道なのです。

私たちの肉体も原理の象形
さて、ここまでを通して、肉体の女性/男性をイメージすると、何か違う感じを持った方もおられるのではないでしょうか。女性原理/男性原理と呼ぶから分かりづらいので、核融合をイメージする方が分かり易かったりしなくもない、とか・・・
でもこれは別にこじつけではなく、私たちの肉体も、宇宙の原理が背後にあっての、この次元での象形、フィギュア化ですので、無関係ではないのです。インドなどこの宇宙観の発祥地では、女性/男性の体になぞらえて表現した石像が残っています。
なお古代では、本来の宇宙観の本筋から少し外れた考えが、肉体上での性を謳歌するというかたちで、原始宗教と呼ばれるような信仰の対象となったりもしたようです。この肉体世界で生命が生まれるのも、融合のエネルギーによるものとも考えられますので、それを賛美したというのもあるのでしょう。
次回からは、今回のセオリーを踏まえて、さらに踏み込んだ解説となりますが・・・、
この宇宙観自体、私自身も年月をかけてたどり着いたものですので、即座に理解するのは難しいと思います。文章化するのは今回初めてで、書く自体がご神事のような、お経を書いているような気持ちになりました。
「いや、シンプルなんで二、三回読めば理解できるよ。地動説だって行き着くまでは大変だったけど、我々は教科書で習っただけで理解したじゃない?」と思う方もいるかもですが・・、
ここで言う理解とは、字面を追って、書いてある意味は分かった、という程度の理解ではなく、実質的に、霊性を向上させるまでに、あなたという器に深く浸透するという意味合いです。
スピリチュアルにおける知見とは、つまりそういうことで、それを英知と呼ぶわけです。
運転に例えるなら、自動車が動く仕組みや交通規則を座学で学んだ、だけではなくて、それによって自動車を公道で走らせることができる、実質的な理解ということですね。
もしもあなたが、その意味でこのセオリーを「理解」したなら、あなたは原理の神の波動に触れたことになります。そうなったとき、即座に心は波立ち、あなたという場が高位の波動に打ち震え、その荘厳さへの深い畏敬のあまり、心の中で跪くことでしょう。
最終的に行き着くのは、シンプルな実践ですが、それが功を奏するためにも、あなたという器に高度な響きをもたらす理解が必要となるのです。
それは思考によってもたらされ、思考は高度な波動によってもたらされます。ですので、思考メソッド、波動を上げるツール、そのどちらもが重要なのです。
と、いったことを踏まえまして、ゆっくりお読みになっておいてくださいね。それではまた次回のレクチャーでお会いしましょう。