アセンションとは地球の次元上昇のこと。あなたをアセンションに導くためのブログです

世界平和の祈りと終末思想

夜明け




     


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終末思想がアセンション・に及ぼす影響は軽視できないものがある。スピリチュアリストが陥る、「似て非なるものへの勘違い」は、アセンション・タイムラインを引き下げる脅威となりうる







高貴なるライトワーカー、光の戦士がた、いかがお過ごしでしょうか。


本記事は前の記事からの続きです。お読みでない方は、未読の記事からお読みください。



さて、一部ブログ読者の方々からの逆風ですが、まだ完全な収まりをみせず、続いている状況でおります。


そこへもってきて、先日は波動的被災と私が呼んでいる状態に陥ってしまいました。この苦しさを何と表現したら適切か分からないのですが・・・脳が心臓発作を起こすような状態と申しますか・・・。



とはいえ、スピリチュアリストが全員、私のような状態に定期的に襲われるようになる、と決まっているわけでもありません。


そもそも、波動レベルが上がってくるほど、カルマ浄化が苦痛少なく速やかに可能になります。私の状態も、同じ程度のカルマ浄化を物質波動レベルの人がする場合は、もっと大病になるでしょう。

さりとて、その人の魂が目指しているのが、もっと大きな規模で、さらに高い波動フェーズの上昇であれば、そのぶん苦痛を覚えることもあるでしょう。
一方でそこまでしなくてもいいと魂が考えている人もいます。いずれにしても、その人の耐えられる範囲で進んでいくことになるでしょう。


ですので、これについては、別に読者の皆様全員が、ご自分の身に置き換えて考える必要はないと思います。



しかし、今回の、一部読者の方からの反発を引き起こした解説は、普遍的なこととして、知っておくべきリスクです。


かなりすさまじいカルマに襲われたため、「こんなことなら書くんじゃなかった」と私が後悔しているかというと、そんなことはありません。


前の記事でも書きましたが、これだけストレスを引き起こしたということは、たまたま記事を読んだ行きずりの読者か、常連読者だけど、ご自分の身にも当てはまるリスクとして考えていなかった人かでしょう。


それって、何も知らずに車を運転している人に、交通ルールや危険を教えてあげようとしたら、「そんなこと知りたくないもん、知らなくても今まで何もなかったから平気だもん!」と反発しているようなものじゃないでしょうか。そんな人に、「そうかそうか、じゃあ知らなくていいよ」とは誰も言わないでしょう? どんな危険があって、何を注意したらいいか知った上で安全運転すれば、危険やリスクを回避できるわけですからね。


ですので、今回それを知ったこと、認識したことは、その方たちにとって、良かったという以上のことだと思います。仮に反発してブログから離れてしまった人がいたとしても、読んだことは心に残るでしょう。何がしかの注意を払う気持ちは持ってくれたのではないでしょうか。





ところで私が被災状態に陥ったのは、ブログ読者の方からのカルマ寄越しのせいばかりではありません。


前回の終わりに、「次回は終末思想について書くつもり」とアナウンスしましたが、その影響ではないかと思います。






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戦争想念波動の中で最も厄介なもの






先日、「戦争想念波動の脱却マントラを、さらに強化すべく、文言の追加を検討中」と書きましたが、終末思想というのは、この追加したい文言に関わる話なのです。

で、目下、私自身はそれを追加して唱えているのですが、抵抗波動がすごいので、皆様に提供するのはもう少し先になりそうです。私の方でもう少し、文言も波動も洗練してからでないと、夾雑波動が多くて皆様には少ししんどいと思いますので。



つまり言い換えるなら、人々を戦争に引き込む戦争想念波動の中で、最も厄介なのが、この領域の想念だということが、波動的にははっきり見てとれるということです。

恐らくまだ誰も攻略対象にしていないため夾雑波動が多いのかもしれませんが、それにしましても、戦争を引き起こす元凶である戦争惹起想念よりも抵抗波動が大きいって何なのよ? と思うほどなのです。




先日また、「祈りの会」の地元の寄り合いに行ってまいりました。今回は時間に余裕があって、主催者さんがいつもよりも長くお話しくださいました。


この方は予言とか未来予知の話を結構されるのですが・・予知の大半は大災害とか不穏なものですね。あとは、戦争についてですね。今、各地で事変が起きていますし、まだ今後起きそうな事態もありますが、避けられないことだろうという話もされていました。



その口ぶりから私が思ったのは、それが当たる当たらない以前に、彼がその未来を悲観的には捉えていないらしいことです。というのは、「祈りの会」の会員さんはじめ、いわゆるスピリチュアル的な人は、そうした不穏な事態になっても被害を免れるだろうし、そうでない人は過酷な目に遭うだろう、と思っているのだろう、ということです。


彼が教えてくれた予言の動画を、帰宅してから見てみたのですが、同様の事が語られていました。「ふるいにかける」なんて言い方をしていましたね。私の印象は間違っていないようです。



いや、私もそれは思っていますよ。世界が分岐点にある話を、延々してきたわけですからね。その意味では同意なのです。そもそもこの方の考えは、私と大筋では対立するところはないんですよね。

の、はずなのですが・・・どうも、手放しで共感する気持ちになれないのはなぜなのか・・と考えてしまいました。




私は主催者さんが数年前に口にした「人類は滅亡する」という言葉を、今でも忘れられないのですが・・・。その時は、悲観的な未来が見えるとヘコむだろうなあ・・と同情したのですが、今思い返してみると、そう落ち込んでもいなかったのかもしれないですね。彼は人類すべてが滅亡するとは、その時も思ってはいなかっただろうと、今は思います。


同じころに、「戦争したい奴は戦争して滅びてしまえばいい」という会員さんの発言も、耳にしています。


こうした考えの人の頭の中の「人類滅亡」の「人類」には、「自分」は入っていないのだと思います。






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「世界平和」を唱える人が、なぜ終末思想を持つのか・・






この、人類滅亡を予想する観念は、終末思想と呼ばれますね。この思想は宗教的な思想とも言えます。宗教の中にその思想が織り込まれている場合もあるし、この思想を主軸にした宗教もあるようです。




宗教と言えば、少し話はそれますが、「祈りの会」も宗教団体ではあるのですが、なぜか会員さんの多くが、自分が宗教団体に入っているとは思っていないし、思いたくないようです。そもそも現会長からして、宗教と言われるのが意に染まないようですしね。
現状、宗教に絡むさまざまな事件や事変のせいで、一般的なイメージが悪くなっているのは事実だとは思います。


ただ、五井先生は生前、宗教の道は神の光で光り輝いているとおっしゃっていたし、ご自分は前世でも前々世でも宗教家であった、と明言されています。彼は宗教か否かではなく、「正しい宗教と過てる宗教」という風に区別しておられ、私はこの方がしっくりきます。


私もスピリチュアルは本来科学だと思っていますが、宗教と科学とを切り分けるようになったのは、この物質地球特有の事情によるものです。言わば、軋轢を避けるため便宜上生み出されたカテゴリーと言っていいでしょう。



事実、宗教を名乗らないスピリチュアルでも、陰謀論やカルト、マインドコントロールなどあるし、科学の分野ですら、非科学的な妄信が見られたりもします。

どんな分野にも、真っ当なものとそうでないものがあります。

前回、闇波動には見境がないと書きましたが、同じ集団、同じ分野というだけで、光と闇が切り分けられるものでもありません。そろそろ、集団とかカテゴリーによるレッテル貼りがナンセンスになる時代が、来ていい頃ではないかと思います。




実際、「祈りの会」において、あたかも終末思想のような考えを聞いた時は、耳を疑ったものでした。会自体はそんなことは一言も言っていないのですが、中に、そんな風に考える人がいるということです。一体、どこからそういう思想に陥ってしまうのかと、考えさせられます。



ちなみにですが、それを言った人も、「世界平和の祈り」や「神聖復活の印」は実践しているし、話をしていてもおかしな人ではありません。その人自身は非常識でもおかしな人でもないことも、着目すべきポイントではないかと私は思っています。



ともあれ、「祈りの会」自体は終末思想の会ではないので、会の教えを掘り下げても答えは出てきません。

では終末思想を教える宗教団体では、どんな思考を持っているのか・・ちょっと垣間見てみることにいたします。






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アセンションと終末思想との違い






以前も書きましたが、終末思想については、宗教二世が問題になりだした頃、私も興味を抱いてチェックしてみたことがあります。


その際の考察は、この記事で詳述しています。





終末思想に関して、特に心理面について掘り下げてみた考察ですが・・・、少し長いですが、よければ再読してみてください。



今回の記事は、上掲の記事と重なる面もありますが、もう少し焦点を絞って、戦争想念との兼ね合いで見直してみたいと思います。



まず、終末思想とは何かを、ごく簡単に要約した部分を抜き書きしますと、

「世界にはやがて終末が訪れる。神の御心に叶わない人類は滅び去る。そして神を信じる(つまりその宗教に属している)信者だけが助かり、楽園に行ける」

(ここで私は「助かる」と書いていますが、肉体レベルで助かるというより、「天国のような素晴らしいところに行ける」という考えのようです。)


終末思想というくらいで、「人類は滅亡する」と考える一方で、その人類の中に、同じ人類である自分たちは入っていないという思考に及んでいるようです。これが、自分たちは他の人とは違うという選民意識につながる糸口にもなる模様です。



上記の記事で、終末思想とアセンションは一見すると似ているという話をしていますが・・・、

主として心理面で、選民意識に陥る危険性については共通性があるのですが、アセンション自体は、終末とは違います。



アセンションは(それが真っ当な理解なら)、アセンションする組の人は助かって、アセンションしない組の人々が滅びる、なんて思考はありません。

(ただ、今回のアセンションのチャンスを逃した人は、この先も、この制限に満ちた線形波動世界での経験が長く続くことにはなるでしょう。
渡辺大起氏によると、地球はそもそも、惑星ルシファーのアセンションの失敗でチャンスを逃した人々が数多くいるわけですが、そうやってチャンスを逃すほど、惑星規模でカルマが蓄積しているので、地球の波動も激低いわけです。つまりチャンスを逃すほど、アセンションが過酷になると考えられます。)



さらに、アセンションが終末思想と決定的に違う点が、もう一つあります。






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地球人類全体を運命共同体として考える






渡辺大起氏の著書によると、地球はこれまで、6回、「世の終わり」を経験していて、どれも失敗に終わった。今は7回目の時が来ていて、これが最後のチャンスである、と言います。

もしもこの最後のチャンスも、「失敗の世の終わり」で終わると、もう地球にアセンションするチャンスは残されていないというのですね。



この、「失敗の世の終わり」は、すなわち地球人類の終焉ということです。渡辺氏の著書には、具体的にどうなるとは書かれていませんが、高位神霊としては、最も厳しい措置をとらなければならなくなるようです。



終末思想や、それを信奉する宗教の教義では、終末は必ず訪れて、自分たちは楽園に行けると考えているようですが、

アセンションは違います。アセンションは、物質地球がアセンションできないという事態が、最悪のシナリオとして存在し、だからこそ、目覚めた地球人や、救援隊であるワンダラーやパイオニアスターシードなど、ライトワーカーたちが、その道筋にいくことを全力で阻止してきたわけです。



残念ながら、地球人類全員がアセンションするところまでは持っていけそうにないわけですが・・・それでも、地球がルシファーのように破壊されたり、死の惑星となる事態は回避するところまでは、持っていけていると思われます。

しかしながら、そこまで持っていけたのも、ごく最近のことで、絶望的なタイムラインに陥ったこともあったのです。今もって非常にきわどく、僅かなことで下がってしまう危険性があることは変わりないでしょう。

事実、アセンションできる人の割合も──これは開示するのが許されていないようですが──、かなり少数ではあるようです。

それは、それだけ地球の命運が、きわどいタイムラインをたどっているという事です。



「このブログについて」という記事にも書かせていただきましたが、アセンションをノアの方舟にたとえるなら、乗る人が多いほど方舟は大きくなり、大きくなるほどアセンションは安泰になるのです。

つまり、その意味においては、地球人類全体を、運命共同体として考えねばならないのです。






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「似て非なるものへの勘違い」がタイムラインに影響する






アセンションは、確かに個人個人の選択です。アセンションするタイムラインに乗れるか、乗れないかはその人次第です。

ですが、地球惑星全体として、「失敗の世の終わり」に向かうタイムラインにいるようなら、自分だけアセンションできても、地球アセンションとしては失敗なのです。ルシファーの二の舞になるでしょう。


ここは、ある種、運命論的な終末思想と、決定的に違うところです。



つまり、私たちアセンション組であっても、アセンションしない人々も含め、世界の状況がどうなっても、それはその人達の選択だから関係ない、というわけにはまいりません。選択が人それぞれなのはその通りですが、その一人一人の選択が、地球の命運に影響するのです。
だからこそ、一人でも多くの人をアセンションに向かわせたい、目覚めさせたいと思って、活動しているのがライトワーカーなわけだし、またライトワーカーというならそうであるべきでしょう。



以前の記事でも解説しましたが、「戦争するタイムラインと無関係になる」ということと、「戦争に無関心になる」とか、「自分たちには関係ないと思う」ということは、全く違うことなのです。


「戦争想念波動と無関係になる」とは、私たち自身がまず、波動的に、戦争につながるタイムラインと無関係になる、つまりそのタイムラインから乖離することであり、

それによって私たち自身の身を守ると同時に、世界全体を、戦争から乖離する方向へと、タイムラインを引き上げるということなのです。


(上掲の記事では、主として心理面の考察で、人それぞれの選択を尊重することを強調しておりますが、戦争想念波動からの乖離が、戦争の拡大を抑制し、世界平和、ひいては地球人類のアセンションに寄与することも、あらためて付記しておきます。)


それが、「戦争想念波動と無関係になる」ということであって、「戦争したい人はすればいい」という思考とは、本質的に違うのです。ここはもう、決定的に違うことなので、勘違いしてはいけません。




この、スピリチュアリストが陥りがちな、「似て非なるものへの勘違い」が、世界のタイムラインに、少なからず影響を与えていることも、見逃せない点です。


これについて、もう少し深く掘り下げてみましょう。次回以降にゆずります。










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